テラ銭

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 胴元(賭博の主催者)が客から徴収する手数料は、「テラ銭」(寺銭)と呼ばれました(*1)。博徒組織は、「賭博ゲームに勝った客」からテラ銭を徴収していました(*2)。テラ銭には、賭場における「所得税」の意味合いがあったと考えられます。博徒組織の賭場においてテラ銭の割合(控除率)は一般的に「五分」(5%)といわれていました(*1)。

 つまり200万円勝った客は、10万円を「テラ銭」として博徒組織に払いました。1日のテラ銭合計が2,000万円の賭場(テラ銭5%の賭場)では、勝った客に3億8,000万円が配分されたことになります。

 一方、京阪神における本引き(サイ本引き、手本引き)の賭場ではテラ銭の割合は「二割」(20%)でした(*3)。

 手本引きには、2つの運営方法がありました。1つは、胴元(博徒組織)が「親」を務める場合でした(*4)。もう1つが、客が交代して「親」を務める場合で、「廻り胴」と呼ばれていました(*4)。手本引きにおいて、胴元が「親」を務める場合、テラ銭の割合は8%ぐらいでした(*4)。一方、客が交代して「親」を務める場合(廻り胴)、「親」(親役の客)が「勝った時」に一定比率のテラ銭を胴元側に払いました(*4) (*5)。

 賭場の営業終了後、博徒組織はテラ銭を組織内で配分しました(*6)。テラ銭の配分は一般的に、貸元(賭場の支配人)に5割、代貸(賭場の長)に3割、中盆(賭博の進行役)に2割だったようです(*6)。戦前においては、テラ銭のうち50円が貸元に、残り(テラ銭-50円)が代貸に配分される仕組みもありました(*7)。テラ銭は、博徒組織の上位者にのみ配分されていたことが分かります。

 また他の博徒組織(A組織)の常客を賭場に連れてきた場合、博徒組織(B組織)はテラ銭の2割をA組織に支払う必要がありました(*7)。この場合のテラ銭とは、「A組織の常客から回収したテラ銭」のことを指したと考えられます。B組織の賭場でA組織の常客が20万円のテラ銭を支払った場合、B組織は4万円をA組織に支払ったと考えられます。

 関東の博徒業界では、他の博徒組織(C一家)の縄張りで賭場を開帳する際、その博徒組織(C一家)から了解を得ておくことに加えて、テラ銭の一部をその博徒組織(C一家)に払うことが求められました(*8)。博徒業界において縄張りとは「賭場の開帳権を行使できる地理的範囲」のことでした(*9)。

<引用・参考文献>

*1『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p195

*2『ヤクザ大全 その知られざる実態』(山平重樹、1999年、幻冬舎アウトロー文庫), p35

*3『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫),p205

*4 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑦ 現代ヤクザマルチ大解剖』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2004年、メディアボーイ),p137

*5『現代ヤクザ大事典』, p193

*6『ヤクザ大全 その知られざる実態』, p31-33

*7『破滅の美学 ヤクザ映画への鎮魂曲』(笠原和夫、2004年、ちくま文庫), p99-100

*8『現代ヤクザ大事典』, p64

*9『現代ヤクザ大事典』, p61

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