備蓄取引

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 かつて毛布メーカー興洋染織と総合商社との間では「備蓄取引」が行われていました。

 興洋染織の前身は「興洋染色」で、その興洋染色は大阪府で1958年設立されました(*1)。1971年興洋染色は毛布生産を開始、1978年にはマイヤー毛布を生産していきました(*1)。マイヤー毛布は流行し、興洋染色の売上も増えていきました(*1)。1987年興洋染色は「興洋染織」に改名しました(*1)。興洋染織の国内シェアは、一時期、60%(受託加工分も含む)を占めました(*1)。

 興洋染織の躍進の裏にあったのが、備蓄取引でした。

 毛布は季節品で、小売市場において主に9月から翌年2月に販売されました(*2)。総合商社は、毛布の不需要期に、興洋染織から毛布を仕入れました(*2)。不需要期に総合商社が毛布を仕入れてくれることで、興洋染織は不需要期にも工場を稼働させることができました(*2)。

 総合商社は不需要期には毛布を備蓄し、需要期になると寝装具店に販売しました(*2)。

 「需要期に販売しきれなかった毛布」(売れ残りの毛布)に関しては、メーカーの興洋染織が総合商社から買い戻すことで、解決が図られていました(*2)。買い戻しは3月末までに行われていました(*2)。総合商社は3月期決算で、決算時までに「売れ残りの毛布」(在庫)を処分したかったのです(*2)。

 貸借対照表において在庫(棚卸資産)の増加は、「現金の減少」も意味する為、キャッシュフローの点で好まれません(*3)。

 該当の毛布は翌4月末までに、興洋染織から総合商社に戻り、再び備蓄されました(*2)。興洋染織は4月期決算で、総合商社同様、決算時までに「売れ残りの毛布」を処分したかったのです(*2)。

 上記の毛布売買は「備蓄取引」と呼ばれました(*2)。

 総合商社にとって、興洋染織との備蓄取引は「貸金ビジネス」でもありました(*2)。その資金貸借では、貸し手が総合商社で、借り手が興洋染織でした。

 総合商社は毛布を購入した際、興洋染織に代金を払いました。その毛布購入代金が、実質「貸付金」の役割を果たしていました。一方、興洋染織にとって、その売上金は実質「借入金」でした。

 興洋染織(借り主)は3月末までに、売れ残りの毛布を総合商社から買い戻した際、総合商社に代金を払いました。その買い戻しが、借入金の返済となったのです。また総合商社(貸し手)は、興洋染織(借り主)から備蓄手数料をとっていました(*2)。備蓄手数料が「利息」となっていました(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『粉飾の論理』(髙橋篤史、2006年、東洋経済新報社), p31-32

*2 『粉飾の論理』, p37-38

*3 『財務3表実践活用法』(國貞克則、2012年、朝日新書),p56-57

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