コカインビジネスに関してコロンビアの麻薬組織は「後発組」

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 1969年南米コロンビアのカウカ州南部にてコカインが同国において初めて精製(密造)されました(*1)。1970年代前半からコロンビアの麻薬組織はアメリカ合衆国にコカインを供給していきました(*1)。アメリカ合衆国では1914年成立した「ハリソン麻薬取締法」によりコカインは違法薬物となっていました(*2)。

 コカインの原料はコカ葉です(*1)。コロンビアでは1990年代前半から「コカイン密造目的のコカ葉栽培」が本格化していきました(*3) (*4)。1990年代前半の以前、コロンビアではコカ葉は栽培されていましたが、栽培量は少なかったです(*4)。1980年代ペルーとボリビアがコカ葉の二大栽培地でした(*4)。1990年代前半以前、コロンビアの麻薬組織はペルー、ボリビアからコカ・ペースト(コカ葉の加工品) (*4)を仕入れていました(*5)。

 1970年代前半時コロンビア側は「コカイン密造」の役割を担っていたのでした。

 1855年ドイツの化学者フリードリヒ・ガエデックがコカからコカインを単離しました(*6)。コカインは1884年から局所麻酔薬として使用される等、多用されていきました(*6)。

 しかしコカインの害悪が次第に明らかになっていきました。オーストラリアでは第一次世界大戦(1914~1918年)後から、コカインの販売規制が始まりました(*7)。

 販売規制は、逆に「密売」という裏社会の利権を生み出します。

 コロンビア以外の国ではすでに(1969年以前)コカインが精製(密造)され、アメリカ合衆国に供給(密輸)されていました。

 メキシコのジョージ・アサフ・バラ(George Asaf Bala)率いる組織は1960年まで、メキシコの密造施設にてコカインを精製し、コカインをアメリカ合衆国に供給していました(*8)。1969年6月ジョージ・アサフ・バラの密造施設は摘発されました(*8)。

 また1960年代前半まで、世界のコカインの9割がキューバを経由し、供給されていました(*8)。1959年キューバで革命が起こり、以降革命政権がキューバを統治しました(*8)。その前はフルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)第2次政権(1952~1959年)がキューバを統治していました(*8)。

 アメリカ合衆国のアウトロー組織はバティスタ政権と手を結び(*8)、キューバに進出しカジノ事業等を行っていました(*9)。当時のキューバでは賭博が合法でした(*8)。またバティスタ政権時代、アメリカ合衆国のアウトロー組織はヘロイン及びコカインを密輸する際の経由地として、キューバを使っていました(*8)。

 キューバに供給されたコカインは主にチリで密造されていました(*8)。チリ産コカインはペルー、ボリビア、コロンビアを経由する形で、空輸もしくは陸路にて国外に運ばれました(*8)。

 しかし1959年キューバの革命政権は、アメリカ合衆国のアウトロー組織をキューバから追い出しました(*8) (*9)。また革命政権樹立後、キューバから多くの人達がアメリカ合衆国に移住しました(*10)。1966年アメリカ合衆国では「キューバ調整法」が制定されました(*11)。キューバ調整法では、1959年1月1日(キューバ革命成功の日)以降にアメリカ合衆国に行ったキューバ移民に対し、1年後自動的に「永住権」が与えられました(*11)。一方、他のラテンアメリカ諸国の移民は、本国への送還対象でした(*11)。

 一部のキューバ系移民らは「ラ・コンパニア」(La Compania)という違法薬物の密売組織を結成しました(*10)。ラ・コンパニア結成の目的は、キューバの革命政権と戦う為の資金作りでした(*10)。キューバ系移民の密売組織は1980年頃まで、アメリカ合衆国内のコカイン流通を牛耳りました(*10) (*12)。

 当時もキューバ系移民の密売組織はチリからコカインを仕入れていました(*12)。しかしキューバ系移民の密売組織は次第に、チリからではなく、コカ葉の栽培地(ボリビアとペルー)からコカインを仕入れることを目論見み始めました(*12)。一方、チリ側もキューバ系移民の密売組織ではなく、別の組織にコカインを卸すことを考え始めました(*12)。

 この状況下に入り込んでいったのがコロンビアの麻薬組織でした。コロンビアの麻薬組織は「キューバ系移民の密売組織側」と「チリ側」の仲介役になりました(*13)。

 具体的にはコロンビアの麻薬組織は、ボリビアとペルーからコカ・ペーストもしくは純正コカインを仕入れ、アメリカ合衆国に供給しました(*13)。加えてコロンビアの麻薬組織はアメリカ合衆国内の流通も手掛けました(*13)。

 おそらく前者は「キューバ系移民の密売組織向け」の事業で、後者は「チリ側向け」の事業であったと推測されます。コロンビアの麻薬組織は演じ分けていたと考えられます。

 アメリカ合衆国のワンパーセンターズ(1%ers)系バイカークラブ「アウトローズ」(Outlaws)は1978年以前から、コロンビア人やキューバ人の取引業者からコカインを仕入れていました(*14)。

 以上からコカインビジネスに関してコロンビアの麻薬組織は「後発組」だったことが分かります。

 ちなみに革命政権のキューバでは、1960年1月3日アメリカ合衆国との外交関係が断絶しました(*15)。また1962年2月初頭アメリカ合衆国はキューバの全面封鎖を発表しました(*15)。

 パナマはトリホス政権時代(1968~1981年)(*16)、キューバと国交を復活させました(*17)。国交復活後、キューバはパナマのコロン・フリーゾーン(自由貿易地区)を「非共産圏諸国産物資」の買い付け窓口にしました(*17)。コロン・フリーゾーンは、パナマ運河のカリブ海出口にありました(*18)。1948年6月コロン・フリーゾーンはパナマ政府の直轄事業体としてコロン地域に設けられました(*18)。

<引用・参考文献>

*1 『コロンビア内戦 ― ゲリラと麻薬と殺戮と』(伊高浩昭、2003年、論創社), p106-107,112

*2 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、2014年、現代企画室),p48,88-89

*3 『Cocaine: An Unauthorized Biography』(Dominic Streatfeild,2003,Picador), p399

*4 『エリア・スタディーズ90  コロンビアを知るための60章』「コカイン産業 アンダーグラウンドの基幹産業」(二村久則、2011年、明石書店),p174-175

*5 『エリア・スタディーズ90  コロンビアを知るための60章』「コカ コロンビアにおけるコカ栽培の諸相」,p53-54

*6 『[文庫クセジュ] 合成ドラッグ』(ミシェル・オートフイユ/ダン・ヴェレア著、奥田潤/奥田陸子訳、2004年、白水社),p25-26

*7 『ORGANIZED CRIME:A Global Perspective』「Organized Crime in Australia: An Urban History」(Alfred W. McCoy,1986, ROWMAN & LITTLEFIELD PUBLISHERS), p248

*8 『Cocaine: An Unauthorized Biography』, p195-197

*9 『The Mafia Encyclopedia, Third Edition』(Carl Sifakis,2005,Facts On File),p450

*10 『Cocaine: An Unauthorized Biography』, p204-205

*11 『エリア・スタディーズ24  キューバを知るための50章 【第2版】』「マイアミのキューバ人 反キューバの牙城から「普通の米国市民」へ」(後藤政子、2025年、明石書店),p124

*12 『Cocaine: An Unauthorized Biography』, p206

*13 『Cocaine: An Unauthorized Biography』, p207

*14 『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』(Tony Thompson,2012,Hodder Paperback), p195

*15 『エリア・スタディーズ24  キューバを知るための50章 【第2版】』「世界一厳しい制裁法 ヘルムズ・バートン法」(後藤政子、2025年、明石書店),p120-121

*16 『エリア・スタディーズ42  パナマを知るための70章【第2版】』「トリホス将軍と1977年の新パナマ運河条約 約束された運河の返還」(小澤卓也、2018年、明石書店),p170-173

*17 『コロンビア内戦 ― ゲリラと麻薬と殺戮と』, p135

*18 『エリア・スタディーズ42  パナマを知るための70章【第2版】』「フリーゾーンと経済特区 運河と並ぶパナマ経済の支柱」(杉浦篤、2018年、明石書店),p198-199

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