かつて関西地方では「太政官」という独立組織が活動していました(*1)。団体等規制令により太政官は解散を余儀なくされました(*1)。1949年4月連合国軍総司令部(GHQ:General Headquarters)は団体等規正令を発布しました(*2) (*3)。
1958年若林暲(太政官・香西支部長だった者)は、旧太政官勢力を集めて、「若林組」を香川県で立ち上げました(*1)。1962年若林組は「山口組」2次団体「地道組」の傘下に入りました(*1)。1964年若林組は山口組2次団体に内部昇格しました(*1)。
若林組は高松市をはじめ、坂出、丸亀、観音寺、琴平などで勢力を持つに至りました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p72-73
*2 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p155-156
*3 『昭和のヤバいヤクザ』(鈴木智彦、2019年、講談社+α文庫), p177
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