過去、中京圏では「熊屋本家」「薬屋連合会」「中京神志会」「大沢本家」「名古屋長者町一家」というテキヤ組織が活動していました(*1)。この5団体は「導友会」に加盟していました(*1)。
熊屋本家は、稼業名「熊屋」を名乗る一門(熊屋一門)の宗家組織でした(*2)。熊屋本家は名古屋を拠点に活動していました(*2)。熊屋本家十九代目・松本正一の体制時、熊屋一門内の組織数は17で、一門内の構成員数は約450人でした(*2)。中京地区では稼業名・薬屋を名乗る一門(薬屋一門)も有名でした(*2)。導友会に加盟していた薬屋連合会は、薬屋一門の統括団体だったと考えられます。
名古屋長者町一家の初代は田中敬助でした(*3)。
旧「松波会」勢力が1968年、導友会を結成しました(*1)。1964年警察庁はヤクザ組織に対し取締り強化(通称:頂上作戦)を実施しました(*4)。頂上作戦を受け、全国のヤクザ組織は続々と解散していきました(*4)。松波会も1965年解散しました(*1)。
1961~1962年頃、松波鉦之助が松波会を結成しました(*1)。松波鉦之助は三吉一家のトップ(三吉一家六代目)でもありました(*1)。三吉一家は明治時代(1868~1912年)、山田三吉により結成された博徒組織でした(*1)。一時期、三吉一家は名古屋市熱田区を拠点にし、約700人の構成員を擁していました(*5)。
三吉一家が改称し松波会になったのか、もしくは三吉一家が「松波会の下部団体」として活動していたと推測されます。三吉一家を源流とする松波会は、博徒組織の色合いが濃い組織だったと考えられます。導友会は博徒系とテキヤ系の混合組織でした。また導友会は稲川会の「親戚団体」でした(*6)。つまり導友会は稲川会と同盟関係を結んでいたのです。
1991年以降、導友会は「山口組」の2次団体「弘道会」の傘下に入りました(*7)。
<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2015年9月号「「義理回状」が語る戦後ヤクザ史 昭和六十年五月吉日 二代目導友会襲名披露」, p103-104
*2 『わんちゃ利兵衛の旅 テキヤ行商の世界』(神崎宣武、2023年、ちくま文庫),p142,145-146
*3 『仁義の祭り – 実録戦後やくざ史』「横浜極道者」(藤田五郎、1988年、青樹社),p160
*4 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p168-170
*5 『武闘派 三代目山口組若頭』(溝口敦、1999年、講談社+α文庫), p156
*6 『ヤクザ・レポート』(山平重樹、2002年、ちくま文庫),p169
*7 『髙山若頭からの警告 続・弘道会の野望』(木村勝美、2020年、かや書房), p153
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