戦後の高知市で流行った違法薬物

  • URLをコピーしました!

 太平洋戦争終了(1945年)後の高知県高知市では覚醒剤、ヘロイン、オートンが流行しました(*1)。覚醒剤は戦時中には市販されていましたが、1951年覚醒剤取締法が制定及び施行されました(*2)。1951年以降、覚醒剤は日本において「違法薬物」となりました。

 ヘロインは日本で1955年頃から流行しました(*3)。1961~1962年、神戸市生田区(現在の中央区)の「三宮」から葺合区(現在の中央区)の「新川」までの道は「ぺー街道」(ぺーとは「ヘロイン」のスラング)と呼ばれました(*3)。ぺー街道にはヘロイン密売所が数軒ありました(*3)。そのヘロイン密売所はヘロインの販売に加えて、客にヘロインを注射するサービスを提供していました(*3)。

 戦後の神戸市において、海外からヘロインを仕入れていた組織の1つとして「五島組」(神戸市)がありました(*4)。五島組は香港に拠点を置き、中国側とのパイプを有していました(*4)。また五島組は韓国からは覚醒剤を仕入れていました(*4)。当時、関西では「大野会」も韓国から覚醒剤を仕入れていました(*4)。大野会は大阪市港区の築港を拠点にしていました(*4)。

 高知市の筆山近くの秘密工場では朝山という者がヘロインを密造していました(*1)。台湾人の林宝珍がそのヘロインを大阪や神戸に運び込み、密売していました(*1)。その後は関西方面から高知市に違法薬物が流れ込むようになっていきました(*1)。

 オートンは「密造麻薬」の1種でした(*1)。

<引用・参考文献>

*1 『鯨道:土佐游俠外伝』(正延哲士、1997年、洋泉社), p26,39-40

*2 『マトリ 厚労省麻薬取締官』(瀬戸晴海、2020年、新潮新書), p48,99-100

*3『マトリ 厚労省麻薬取締官』,p102-104

*4 『覚醒剤アンダーグラウンド 日本の覚醒剤流通の全てを知り尽くした男』(高木瑞穂、2021年、彩図社), p43,55

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次