生糸売り込み商

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 明治時代(1868~1912年)及び大正時代(1912~1926年)において生糸業は盛況を極めていました(*1)。当時の日本において生糸は主力輸出品でした(*1)。養蚕(繭を作る)→製糸(繭から糸を作る)の過程を経て、生糸は作られました(*1)。

 生糸売り込み商は、生産者の代わりに販売の役割を担い、生産者から委託販売の手数料を徴収していました(*1)。

 また生糸売り込み商は、生産者に対し「前貸金」として資金を提供していました(*1)。生糸売り込み商は、生産者に融資していたのでした。逆にいえば、生産者は設備資金もしくは運転資金を、生糸売り込み商から調達していたのでした。前貸金の利子は、生糸売り込み商にとって重要な収入源になっていました(*1)。

 生糸の主要輸出拠点は横浜港でした(*1)。1872年(明治五年)「品川~横浜」間(23.8km)の鉄道が開業(当時は「仮開業」と呼ばれていました)しました(*2)。この品川~横浜間は、日本で最初の鉄道になりました(*2)。その後同年(1872年)内に「新橋~品川」間の線路が完成し、「新橋~横浜」間の鉄道が開業しました(*2)。

 明治政府は横浜港の貿易を活発化させたいと考えており、鉄道敷設では東京-横浜間を最優先にしました(*3)。また居留地の外商も東京-横浜間の鉄道敷設を求めていました(*3)。

 日本鉄道(私鉄)は1883年(明治十六年)7月「上野~熊谷」間の鉄道を開業しました(*4)。日本鉄道は翌1884年(明治十七年)5月「熊谷~高崎」間、同年8月「高崎~前橋」間の鉄道を開業しました(*4)。1884年8月時点で上野~前橋は鉄道でつながったのです。当時、上毛地方には生糸業がありました(*4)。日本鉄道が1885年(明治十八年)3月1日、品川線(品川~赤羽間)を開業したことにより、上毛地方は鉄道で横浜とつながりました(*4)。

 諏訪地方にも生糸業がありました(*5)。諏訪地方の生糸は昔、甲州街道で八王子まで輸送され、八王子からは横浜街道で横浜まで輸送されていました(*5)。その後1905年(明治三十八年)11月、中央線が岡谷まで開通したことで、諏訪地方は鉄道で横浜とつながりました(*5)。1903年(明治三十六年)6月に中央線の「八王子~甲府」間が開業し、翌1904年(明治三十七年)12月に中央線は富士見まで開通していました(*5)。

 1906年(明治三十九年)3月27日、鉄道国有法案が帝国議会にて可決され、鉄道国有法が成立しました(*6)。鉄道国有法は同月(3月)31日、公布されました(*6)。翌1907年(明治四十年)10月までに17の私鉄が国有化されました(*6)。国有化されたのは北海道炭礦鉄道、日本鉄道、山陽鉄道、関西鉄道、九州鉄道、甲武鉄道、岩越鉄道、西成鉄道、北海道鉄道、京都鉄道、阪鶴鉄道、北越鉄道、総武鉄道、房総鉄道、七尾鉄道、徳島鉄道、参宮鉄道でした(*6)。北海道炭礦鉄道、日本鉄道、山陽鉄道、関西鉄道、九州鉄道は「五大私鉄」でした(*6)。

  1898年(明治三十一年)頃から財界や官界、軍部などが、鉄道の国有化を主張していきました(*7)。日露戦争(1904~1905年)後、鉄道国有化反対派だった渋沢栄一が一転、賛成派になりました(*7)。

<引用・参考文献>

*1 『週刊エコノミスト』2020年5月26日号「日本を襲った「生糸ショック」花形産業一変のインパクト」(横山和輝), p30-31

*2 『日本鉄道史 幕末・明治篇』(老川慶喜、2019年、中公新書),p53-54

*3 『日本鉄道史 幕末・明治篇』,p47

*4 『日本鉄道史 幕末・明治篇』,p63-64

*5 『日本鉄道史 幕末・明治篇』,p168-169

*6 『日本鉄道史 幕末・明治篇』,p201-208

*7 『日本鉄道史 幕末・明治篇』,p189-194

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