角田吉男は2006~2010年「稲川会」四代目の会長職に就いていました(*1)。角田吉男は2010年2月病気により死去しました(*1)。
先代の三代目会長・稲川裕紘体制時の2002年10月時点で、角田吉男はナンバー2の役職「理事長」に就いていました(*2)。2005年稲川裕紘は病気で死去しました(*3)。
翌2006年次期トップの座を巡り、角田吉男を推す一派と、稲川英希(稲川裕紘の実子)を推す一派による対立が稲川内で生じました (*1) (*3)。
同年(2006年)7月角田吉男派は、横浜市内で角田吉男の四代目継承式を執り行いました(*1) (*3)。一方、稲川英希派は同日に、熱海市内で稲川英希の五代目継承式を執り行いました(*1) (*3)。総裁・稲川聖城(稲川会初代会長で稲川裕紘の実父)が四代目継承式に出席しました (*1) (*3)。稲川会創設者の出席は角田吉男の四代目体制に正統性を与えたのでした。
同年(2006年)9月3日、角田吉男は稲川会2次団体トップらと親子盃及び兄舎弟盃を交わしました(*4)。
角田吉男は会長就任前まで、2次団体「京葉七熊一家」(七熊一家)のトップでした(*1)。京葉七熊一家は主に千葉県船橋市で活動していました(*1)。
角田吉男は元々「横須賀一家」(稲川会2次団体)の出身でした(*1)。石井隆匡(稲川会二代目会長)も横須賀一家の出身でした(*1)。石井隆匡は横須賀一家五代目総長でした(*5)。横須賀一家の祖は斉藤岩吉で、初代は小菅兼吉でした(*5)。横須賀一家では岡安枡五郎が二代目、稲葉多吉が三代目、鈴木伊之助が四代目を継承しました(*5)。
斉藤岩吉(横須賀一家の祖)は東京の日本橋にて「斉藤一家」を興しました(*5)。
<引用・参考文献>
*1 『裏社会 闇の首領たち』(礒野正勝、2012年、文庫ぎんが堂),p136-138
*2 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p61
*3 『山口組 分裂抗争の全内幕』「住吉会・稲川会に走った激震」(夏原武、2016年、宝島SUGOI文庫), p308
*4 『BAMBOO MOOK 四代目稲川会 総覧 : 新生「稲川軍団」を率いる最高幹部・直参60人』(ジェイズ・恵文社編、2006年、竹書房),p3
*5 『公安大要覧』(藤田五郎、1983年、笠倉出版社),p296
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