違法のくじ

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  現在、日本には「宝くじ」という当選金をあてる「くじ」があります(*1)。宝くじは、当せん金付証票法に基づき、1945年から開始されました(*1)。宝くじの「発売元」は地方自治体で、「管轄官庁」は総務省です(*1)。収益金の約47%が「当選金の支払い」、約40%が「発売元の地方自治体の公共事業費」にあてられます(*1)。

 宝くじに似たくじは、江戸時代にもありました。当時のくじは「富くじ」と呼ばれ、江戸幕府から公認されていました(*1)。富くじの「発売元」は寺社でした(*1)。富くじの収益金は寺社の修繕費用にあてられました(*1)。谷中の感応寺、目黒の不動尊、湯島天神による富くじは有名で、「江戸の三富」として位置付けられていました(*1)。江戸の三富は毎月1回実施されており(*1)、江戸の社会で「富くじ」に人気があったことが分かります。

 しかし天保の改革(1841~1843年)により、1842年富くじが禁止されました(*1)。1842年以前、「富くじの当選番号をあてるくじ」(影富)がありました(*1)。影富は「公的なくじ」を利用したくじであることから、違法でした(*1)。公営ギャンブルの活用による賭博を開催するノミ屋の役割に、影富は近かったと考えられます。違法のくじとしては、「隠富」も知られていました(*1)。隠富には富くじにおける「寺社の修繕費用」がない為、当選金が高額になりました(*1)。高額の当選金により、隠富の人気は高かったようです (*1)。

<引用・参考文献>

*1 『江戸のギャンブル』(有澤真理、2017年、歴史新書、洋泉社), p70-73

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