マカオは1887~1999年までの間、ポルトガルの植民地でした(*1) (*2)。明朝時代(1368~1644年)の1557年ポルトガルはマカオの居住権を獲得 (*3)、マカオに拠点を築いていきました。
マカオではブラジル産の「砂糖」や「粉タバコ」が売られていました(*4)。1500年ポルトガル人のカブラルが「ブラジル」を発見した後、ポルトガルはブラジルを植民地としました(*5)。またポルトガルはアフリカ西岸及び東岸の一部(*5)、マラッカ(1511年占領)やインドのゴア(1510年占領)も植民地にしていました(*6)。当時ポルトガルが世界各地に拠点を持っていたことが分かります。
ポルトガル領ブラジルでは砂糖生産が重要視されていました(*7)。16世紀末、ブラジル北東部のペルナンブーコとバヒーアは世界の中でも屈指の砂糖生産拠点でした(*7)。ブラジル産の砂糖は主にヨーロッパに輸出されました(*7)。しかし後に、西インド諸島でも砂糖生産が開始されると、ブラジル産砂糖のシェアは低下していきました(*7)。
1692年ポルトガル船はインドからバヒーア(ブラジル)を経由しリスボンに戻るという指令が発せられました(*4)。1692年時点では「アジア→ブラジル」という一方通行の物流経路でした。しかし17世紀後半から18世紀に、ポルトガル国王の許可により、植民地間の貿易が認められました(*4)。ポルトガル植民地間において双方向の物流経路が生まれました。以降、ブラジル産の「砂糖」や「粉タバコ」がマカオに持ち運ばれていったと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『興亡の世界史 東インド会社とアジアの海』(羽田正、2017年、講談社学術文庫),p127
*2 『データブック オブ・ザ・ワールド 2020年版 -世界各国要覧と最新統計-』(二宮書店編集部、2020年、二宮書店),p217
*3 『陸海の交錯 明朝の興亡 シリーズ 中国の歴史④』(檀上寛、2020年、岩波新書),p146
*4 『海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム』(玉木俊明、2014年、講談社選書メチエ), p139-140
*5 『海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム』, p38-39
*6 『海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム』, p135
*7 『海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム』, p110-111
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