神戸山口組を離脱した山健組勢力

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 神戸山口組の中核的2次団体・山健組が2020年7月、「神戸山口組離脱派」と「神戸山口組残留派」の2つに分裂しました(*1)。2020年7月の分裂前、山健組の「直系組長」は45人でした(*2)。「山健組直系組長」とは、山健組2次団体トップ(神戸山口組3次団体トップ)、山健組2次団体トップの地位に相当する一人親方(舎弟、顧問、相談役)を指します(*2)。直系組長45人のうち19人が「離脱派」として、神戸山口組を脱退しました(*2)。残りの直系組長26人が「残留派」として、神戸山口組に残留しました(*2)。

 分裂原因の1つとして、山健組内の「会費(上納金)減額」を巡る争いがあったとされています(*1)。神戸拘置所に勾留中の山健組トップ中田浩司は会費減額の案を認めたものの、上部団体・神戸山口組は認めなかった模様です(*1)。神戸山口組トップは、山健組前トップの井上邦雄です。

 山健組における直系組長(3次団体トップ)の会費は、月額70~80万円(2017年時点)でした(*3)。また会費に加えて、毎月「登録料」(組員数×1万円)、年に数回の臨時徴収が直系組長に課せられていました(2017年時点)(*3)。同時期、神戸山口組における直系組長(2次団体トップ)の会費は10~30万円でした(*3)。神戸山口組の直系組長よりも、山健組の直系組長の方が、毎月高い会費等を払っていたことが分かります。

 2015年8月山口組から、13組織が離脱し神戸山口組を結成しました(*4)。2017年4月、山健組から副組長・織田絆誠のグループが脱退、「任俠団体山口組」(現在の「絆會」)を立ち上げました(*5)。当時の山健組直系組長の約1/3が山健組を去り、「任俠団体山口組」に加わりました(*5)。2017年4月織田絆誠グループの脱退前、山健組直系組長は93人でした(*6)。2018年2月兼一会(山健組2次団体)、同年5月生島組(山健組2次団体)が山健組を脱退しました(*7)。2017年4月以降、山健組の勢力が減少傾向にあったことが読み取れます。

 今回の「離脱派」には、健竜会、妹尾組などがいました(*1)。2017年8月時点、健竜会は「山健組の2本柱」と位置付けられており、一定の勢力を持っていると考えられます(*8)。2本柱のもう一つは、健國会でした(*8)。健國会は「残留派」でした(*2)。

 「離脱派」直系組長19人の活動拠点(都道府県別)は兵庫県(7人)、岡山県(4人)、大阪府(3人)、和歌山県(2人)、愛知県(1人)、愛媛県(1人)、福岡県(1人)でした(*2)。地方別に直すと、東海地方(1人)、近畿地方(12人)、中国地方(4人)、四国地方(1人)、九州地方(1人)となりました。「直系組長の活動拠点」のみの推測になりますが、「離脱派」は西日本を主な活動範囲としていることが考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『週刊実話』2020年8月13日号, p32-36

*2 『週刊実話』2020年8月20・27日号, p207

*3 『山口組三国志 織田絆誠という男』(溝口敦、2018年、講談社+α文庫), p38-39

*4 『別冊 実話時代 龍虎搏つ!広域組織限界解析Special Edition』(2017年6月号増刊), p98

*5 『山口組三国志 織田絆誠という男』, p17

*6 『週刊実話』2017年5月11・18日号

*7 『週刊実話』2018年6月21日号, p32-34

*8 『日刊ゲンダイ』2017年8月29日号(28日発行)「溝口敦の斬り込み時評<316>」, p5

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