エル・パソのバリオ・アステカ

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 アメリカ合衆国に違法薬物を最も多く供給していると見られているのが、メキシコ麻薬カルテルです(*1)。メキシコ麻薬カルテルはアメリカ合衆国内の違法薬物市場において、卸売まで関与しているものの、末端の小売までは関与していませんでした(*2)。

 一方、メキシコ国境に近いエル・パソ(テキサス州最西端の街)では、ストリートギャング「バリオ・アステカ」(Barrio Azteca)がメキシコ麻薬カルテルと親交を結び、活動していました(*3) (*4)。バリオ・アステカは1986年、テキサス州エル・パソの刑務所でヒスパニック系服役囚達によって結成されました(*4)。元々バリオ・アステカは刑務所ギャングだったのです(*3)。後にバリオ・アステカは刑務所外に進出、違法薬物の販売業者を支配し、収益の一部を徴収しました(*3)。

 エル・パソから国境を越えたところに、メキシコの都市シウダー・フアレス(チワワ州)があります。バリオ・アステカは、フアレス・カルテル(シウダー・フアレスのメキシコ麻薬カルテル)から卸された違法薬物を、アメリカ合衆国内で密売していました(*3)。つまりバリオ・アステカはアメリカ合衆国内においては「フアレス・カルテルの流通部隊」としの役割を果たしていたともいえます。

 またバリオ・アステカはアメリカ合衆国内の銃器店でライフル銃を購入、メキシコに密輸していました(*3)。アメリカ合衆国と異なり、メキシコにおいて銃器店はほとんどなく、銃所持免許は簡単に出されません(*5)。メキシコでは合法的銃取得が容易ではなかった為、違法領域において銃売買市場が成立していたと考えられます。

 バリオ・アステカは刑務所ギャングであり、ストリートギャングであり、またメキシコ麻薬カルテルの「流通部隊」などの複数の役割を担っていたことが分かります。

<引用・参考文献>

*1 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、2014年、現代企画室), p344

*2 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p348

*3 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p350-351

*4 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p197

*5 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p300

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