流氓

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 日本のヤクザ組織に相当する台湾の組織は「流氓」(リュウマン)と呼ばれます(*1)。また流氓構成員も「流氓」と呼ばれます(*1)。日本のヤクザ組織は暴対法(1992年施行)により活動を制限されました(*2)。日本政府は法律面でもヤクザ組織を追い詰めていきました。

 台湾政府は暴対法施行前の1985年「検粛流氓条例」を制定し、流氓の活動を制限していました(*1)。検粛流氓条例第六条により、警察当局は「流氓」と認定した者を呼び出すことができ、呼び出しに応じない者に対しては強制出頭させる権限を持ちました(*1)。

 検粛流氓条例第十九条により、流氓認定者は1年以上3年以下の「感訓」処分されることが認められていました(*1)。「感訓」とは、台湾南東側の緑島にある労働収容所のことでした(*1)。感訓における労働は過酷であることが知られていました(*1)。

 1980年代以降、検粛流氓条例制定の影響もあり、流氓は東京の歌舞伎町に進出しました(*1)。来日した流氓の中には、日本のヤクザ組織の構成員になった者もいました(*1)。流氓を構成員にしたヤクザ組織の思惑として、「台湾とのネットワーク」を持つ流氓を取り込むことによる密輸ビジネス等の拡充があったと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『歌舞伎町・ヤバさの真相』(溝口敦、2012年、文春新書), p181-185

*2 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p158

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