上州(群馬県)は「博徒の発祥地」として知られています(*1)。背景には、江戸時代に上州が有名な博徒を輩出したことがあります。江戸時代に「大久保一家」の田中代八、「大前田一家」の大前田英五郎、「国定一家」の国定忠治などの博徒が上州で活動していました(*1)。
「関東博徒の始祖」として位置づけられる田中代八は1784年(天明四年)死去しました(*1)。大久保一家(現在の松葉会2次団体)は田中代八を「初代」としています(*1)。1784年以前から、大久保一家が活動していたことが分かります。
大前田英五郎は元々大久保一家の貸元で、後に独立、大前田一家を結成しました(*1)。大前田英五郎時代の大前田一家は、上州以外の関東や東海地域にも進出、多くの賭場を持ちました(*1)。大前田一家が広域組織であり、経済的に豊かであったことが考えられます。他団同士の抗争において大前田英五郎は「仲裁人」を務めました(*1)。大前田英五郎が仲裁人に選ばれた理由として、当時の大前田一家が他団体よりも優位な立場にあったことが考えられます。他団体は大前田英五郎の決定に反対しにくかったと考えられます。大前田英五郎は1874年(明治七年)死去しました(*1)。
国定忠治は1810年(文化七年)上州で生まれました(*2)。国定忠治は17歳の時喧嘩による殺人で無宿人となり、博徒の世界に入りました(*2)。後に、国定忠治は国定一家を結成しました(*2)。国定忠治は役人に捕まり、1850年(嘉永三年)処刑されました(*1)。国定忠治は大前田英五郎を「叔父御」と呼んでいたことから(*1)、上州博徒業界では国定忠治より大前田英五郎の方が「格上」だったことが考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p272-281
*2 『江戸のギャンブル』(有澤真理、2017年、歴史新書、洋泉社) , p138-142
コメント