昔ヤクザ組織の構成員の中には「副業」として鳶職をする者もいました(*1)。ヤクザ組織と土建業の関わりは古いです。大正時代(1912~1926年)、博徒の多くが土建業に「転職」したといわれています(*2)。実態は、博徒組織が賭博業を捨てたわけではなく、「土建業の組織に変わった」という格好をつけたかったのだと考えられます。加えて博徒組織が土建業に収入源を見出した側面もありました。
ヤクザ組織は土建業界において「人足供給(労働者派遣)」(*3) (*4)「入札談合の調整」「建設現場の苦情処理係」(*2)等で資金獲得をしていきました。
当時、土建組織の中には、ヤクザ組織に近い組織もありました。1909年(明治四十二年)東京の浅草で、土建組織の「浅草高橋組」が結成されました(*5)。浅草高橋組は土建業を営む一方、賭博業も営んでいました(*6)。後に浅草高橋組は「住吉会」に加入しました(*5)。土建組織「関根組」(1936年頃結成)は、東京の江東区や墨田区の博徒や愚連隊で構成されていました(*7)。関根組の創設者は、関根賢でした(*7)。関根賢は元々、浅草高橋組の構成員でした(*8)。
太平洋戦争終了(1945年)後、占領下の日本では連合国軍総司令部(GHQ:General Headquarters)が力を持っていました(*9)。連合国軍総司令部(GHQ)、1949年4月、団体等規正令を発布しました(*9) (*10)。同年(1949年)、関根組は解散しました(*9)。連合国軍総司令部(GHQ)、1949年4月、団体等規正令を発布しました(*9) (*10)。同年(1949年)、関根組は解散しました(*9)。
1953年、旧関根組の勢力は「松葉会」を立ち上げました(*7)。
<引用・参考文献>
*1 『教養としてのヤクザ』(溝口敦+鈴木智彦、2019年、小学館新書), p76
*2 『新・ヤクザという生き方』(山之内幸夫、1998年、宝島社文庫), p326-328
*3 『ヤクザをやめて20年!ずっと年収1億超を続ける「栃木のアニキ」29の教え』(ひのえ太郎、2013年、山中企画 出版部), p86
*4 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p58
*5 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p300-302
*6『別冊 実話時代 龍虎搏つ!広域組織限界解析Special Edition』(2017年6月号増刊), p93
*7 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』, p90-93
*8 『親分衆(関東編)』(藤田五郎、1989年、富士出版),p25
*9 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p155-156
*10 『昭和のヤバいヤクザ』(鈴木智彦、2019年、講談社+α文庫), p177
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