城崎温泉とヤクザ組織

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 太平洋戦争終了(1945年)以降、ヤクザ組織にとって温泉街は格好の活動領域でした。当時の温泉街ではヌードスタジオ、お座敷ストリップ、エロ映画、ブルーフィルムなど風俗産業が展開されていました(*1)。1963年9月石川県山中温泉で、本多会と松葉会が互いに死者を出す抗争が起きました(*1)。石川県の温泉街で、ヌードスタジオのビジネスを巡り、本多会と松葉会が競い合っていたことが背景にありました(*2)。風俗産業は合法と非合法の間に位置してしまう為、ヤクザ組織との親和性が高いです。当時の温泉街は風俗産業を伴った結果、ヤクザ組織も引き入れてしまったと考えられます。

 兵庫県豊岡市の城崎温泉は、1960年前後からヤクザ組織が進出し、風俗産業に関与していきました(*3)。最盛期には町の人口6000人に対し、ヤクザ組織の構成員等は120人いたとされています(*3)。しかし1970年までにヤクザ組織は城崎温泉から姿を消しました(*3)。1970年以降の城崎温泉では、遊興目的の観光客が減少しました(*3)。1970年までに城崎温泉が風俗産業を規制し、ヤクザ組織の収入源を減少させたと考えられます。結果、ヤクザ組織は城崎温泉から出ていたったと考えられます。

 1964年から警察庁は全国のヤクザ組織に対し、取締りを強化しました(通称「頂上作戦」)(*4)。以降、各地の1次団体が解散しました(*4)。兵庫県を本拠地にする本多会も1965年解散しました(*4)。実態は表面上の解散であり、後に多くの団体が復活しました(*4)。解散した同年(1965年)、旧本多会の勢力は「大日本平和会」という新団体を立ち上げました(*5)。しかし城崎温泉にとって、1964年以降のヤクザ組織に対する取締り強化は、城崎温泉からヤクザ組織を取り除くことに寄与した一因と考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『洋泉社MOOK・ヤクザ・流血の抗争史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p99-100

*2 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、1998年、講談社+α文庫), p124

*3 『カニという道楽-ズワイガニと日本人の物語』(広尾克子、2019年、西日本出版社), p137-139

*4 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p168-170

*5 『実話時代』2019年9月号, p23

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