ヤクザ組織トップの使用者責任

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 暴対法は1992年施行以降、5回改正されました(*1)。2004年4月21日施行の改正暴対法において、抗争時における指定暴力団トップの「使用者責任」を問うことが可能になりました(*2)。

 1995年8月24日京都市内で、京都府警の巡査部長が山口組3次団体組員に射殺される事件が起きました(*3)。当時、京都を拠点にする会津小鉄会と山口組は抗争中でした(*3)。射殺犯の山口組組員は、会津小鉄会事務所から出てきた巡査部長を「会津小鉄会の組員」と誤認し、発砲してしまったのです(*3)。

 巡査部長の遺族は、当時の山口組トップ渡辺芳則五代目組長(在任期間:1989~2005年)(*4)に対し、損害賠償請求訴訟を起こしました(*5)。2004年11月12日最高裁は、同年4月に改正された暴対法に基づき、渡辺芳則の「使用者責任」を認める判決を下しました(*2)。判決を受け、同月28日渡辺芳則は休養に入り、翌2005年引退しました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『マル暴捜査』(今井良、2017年、新潮新書), p32-35

*2 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p242-243

*3 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p267-268

*4 『山口組の100年 完全データBOOK』, p447-454

*5 『山口組の100年 完全データBOOK』, p29

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