太平洋戦争終了時(1945年8月)から1950年頃まで、日本では闇市が存在していました(*1)。当時の日本は、主要生活用品の物価を統制していました(*2)。主要生活用品の販売は統制機関によって行われていました(*2)。価格は自由に設定されず、事前に定められた「公定価格」でした(*2)。公定価格は固定的な為、市場の需給を反映しません。商品需要が増加する中でも、価格が上昇しませんでした。
闇市は文字通り違法領域の市場であり、主要生活用品を「自由価格」で販売しました。闇市における日用品価格は、公定価格に比し数倍から百倍でした(*3)。当時、日用品の需要が高かったことが窺えます。闇市が存在した要因の1つに、当時の物価統制が硬直的だったことが挙げられます。
闇市にはPX(Post Exchange:占領軍専用の生活用品販売所)の商品が流入しました(*2) (*4)。PXは1945年9月から1956年5月まで運営され、東京には銀座や日本橋にありました (*2) 。占領軍兵士はPXの商品を「横流し」していました(*2)。東京の場合、PX商品の流入先は新橋や上野広小路の闇市でした(*4) (*5)。
<引用・参考文献>
*1 『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫), p150-167
*2 『東京のヤミ市』, p206-207
*3 『東京のヤミ市』, p116
*4 『東京のヤミ市』, p28
*5 『東京のヤミ市』, p36-37
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