露店商売の1つとして、バナナの叩き売りがありました(*1)。1908年(明治四十一年)門司市(現在の北九州市)の桟橋通りにてバナナの叩き売りが初めて行われました(*2)。その後、バナナの叩き売りは全国に広がりました(*2)。しかし第2次世界大戦が激しくなると、バナナの輸入は困難となりました(*2)。
第2次世界大戦終了(1945年)後にバナの輸入が再開されましたが、門司ではバナナの叩き売りが再開されることはなかったです(*2)。一方、熊本、佐賀、久留米、福岡等ではバナナの叩き売りが見られました(*2)。
露店商人は、一般店舗に比し3~4割低い価格で、バナナを販売していました(*1)。低価格で販売できた要因として、露店営業における諸経費の低さ、バナナの供給過剰時期における仕入れがあったといわれています(*1)。
しかし次第にバナナの叩き売りは衰退しました(*2)。北園忠治(佐賀流バナナの叩き売りの伝承者)は衰退の要因を2つ挙げていました。1つは、他の諸物価が約20倍と高騰したのに対し、バナナの価格が三十数年間変わらなかったことです(*2)。結果、バナナの価格は相対的に低くなり、叩き売り師はバナナの販売だけでは、充分な収益を確保できなくなったのです。
もう1つが「優遇制度」の廃止でした(*2)。昔バナナの卸(問屋)は「2級品バナナの処分(売り捌き)」を叩き売り師に委託していました(*2)。2級品のバナナは、1級品のバナナよりも安かったです(*2)。また卸は一般店舗よりも安い価格でバナナを叩き売り師に供給していました(*2)。卸は叩き売り師を優遇していたのでした。しかしスーパーマーケットが出現すると、その優遇制度はなくなりました(*2)。
<引用・参考文献>
*1 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p154-155
*2 『香具師はつらいよ』(北園忠治、1990年、葦書房),p87-89
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