テキヤ組織の構成員が全国の高市(たかまち)(*1)を回る際、宝永帳を持っていきました(*2)。高市とは、社寺の祭礼や縁日における仮設露店市のことでした(*3)。そして宝永帳とは、全国の高市の日程表でした(*2)。全国の高市を回るテキヤ組織にとって、宝永帳は重要なものだったと考えられます。宝永帳は「ホーエ表」とも記されました(*4)。
<引用・参考文献>
*1 『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』(山平重樹、2008年、徳間文庫), p155
*2 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p64
*3 『盛り場の民俗史』(神崎宣武、1993年、岩波新書),p44
*4 『テキヤのマネー学』(監修:仲村雅彦、取材・構成:高橋豊、1986年、東京三世社),p218
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