山口組五代目渡辺芳則組長体制が開始した1989年から1993年までの5年間、西日本をはじめとした各地の独立組織が山口組の傘下に入りました(*1)。
1989年9月テキヤ系組織・寄居関保連合(北海道旭川市)が山口組に入り、山口組2次団体となりました(*1) (*2)。
1990年3月南一家(大阪府)、7月大野一家(大阪府)、10月愛桜会(三重県四日市)(*2)、11月澄田会(大阪府)の計4団体が山口組に入り、山口組2次団体となりました(*1)。
1991年2月松山連合会(愛媛県)、3月博徒系組織・瀬戸一家(愛知県)(*3)、3月平井一家(愛知県)、5月テキヤ系組織・小車誠会(大阪府)(*4)、5月テキヤ系組織・源清田会(新潟県)(*3)、7月諏訪一家(兵庫県西宮市)、12月博徒系組織・佐々木組(和歌山県)(*5)の計7団体が山口組に入り、山口組2次団体となりました(*1)。
1993年11月西田組(兵庫県尼崎市)が山口組に入り、山口組2次団体となりました(*1)。1989~1993年の5年間に計13の独立組織が山口組の傘下に入り、2次団体となりました。
上記以外の独立組織も山口組の傘下に入りました。博徒系組織・九紋龍組(大阪府)(*2) (*6) (*7)、博徒系組織・倭奈良組(大阪府)(*2) (*6) (*7)、船本会(大阪府)(*2)、石川会(佐賀県佐賀市)(*8)は、山口組2次団体の傘下に入り、山口組3次団体となりました。1990年九紋龍組が山口組2次団体・吉川組傘下、同年12月倭奈良組が山口組2次団体・倉本組傘下に入りました(*2)。船本会も倉本組傘下に入りました(*2)。1992年石川会が山口組2次団体・宅見組傘下に入りました(*8)。
1989~1994年7月において山口組2次団体の上納金は、直参クラス月額85万円、最高幹部・舎弟クラス月額105万円でした(*9)。年額で直参クラス1,020万円、最高幹部・舎弟クラス1,260万円の上納金でした。山口組2次団体には1年間に「1千万円以上の余分な資金」を捻出する資金力が求められたことになります。
九紋龍組、倭奈良組、船本会、石川会が2次団体ではなく3次団体となった背景には、要因が組織ごとに複数あったと考えられます。しかし大きな要因として、「資金力」が懸念されたと考えられます。山口組2次団体として活動していくには不十分な資金力であると当時判断されたと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p447-449
*2 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p148-152
*3 『洋泉社MOOK・山口組・50の謎を追う』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社), p96-97
*4 『別冊 実話時代 山口組分裂闘争完全保存版』(2016年10月号増刊), p93
*5 『六代目山口組10年史』(2015年、メディアックス), p106
*6 『実話時代』2016年3月号, p105-106
*7 『実話時代』2016年1月号, p51
*8 『洋泉社MOOK・山口組・史上空前の四万人軍団動く!』(有限会社創雄社『実話時代』落合章子・木下明美編、2005年、洋泉社), p86
*9 『洋泉社MOOK・山口組・50の謎を追う』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社), p189
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