日本の歴史において、博徒組織が誕生したのは江戸時代です。江戸時代の文化文政期(1804~1830年)には、関東一帯で多くの博徒組織が活動していました(*1)。博徒組織の構成員の出自は、主に浮浪農民などの無宿者でした(*1)。
江戸幕府は「宿駅伝馬制」という運搬制度を敷いていました(*2)。宿場ごとで運搬者を交代させる制度です(*2)。宿駅伝馬制において、街道沿いの農村は人馬の供給を求められました(*2)。人馬の供給義務を指定された村は、「助郷」と呼ばれました(*2)。街道沿いの農村(助郷)にとって、農繁期において人を割かれることは、悩ましいことでした(*2)。次第に「代行者の需要」が助郷において高まってきます(*2)。
宿駅伝馬制における運搬の主な代行者となったのが、無宿者達でした(*2)。宿駅伝馬制の運搬仕事が、無宿者の「受け皿」になったのです。宿場の人足は、通称「雲助」と呼ばれました。宿場の雲助の仕事場である「問屋場」は、雲助の仕事がない時、賭場と化しました(*2)。宿場に来た農民たちも「賭場と化した問屋場」に出入りするようになり、博打を覚えました(*2)。
江戸時代における交通の発達が、宿場を作り、運搬仕事という新たな需要を作りました。結果、宿場が無宿者達の「再活動」の場となりました。活気づいた無宿者達は次第に博徒組織を形成していきました。
<引用・参考文献>
*1 『江戸のギャンブル』(有澤真理、2017年、歴史新書、洋泉社), p96-97
*2 『江戸のギャンブル』, p146-147
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