明治時代(1868~1912年)、北海道函館を拠点にする丸茂一家という博徒組織がありました(*1)。明治時代において丸茂一家は「広域団体」でした(*1)。勢力圏は樺太、北海道、青森、秋田、岩手、宮城、山形、新潟でした(*1)。構成員は全盛期で約2万人と言われていました(*1)。丸茂一家の設立者は、千葉県出身の森田常吉です(*1)。
しかし1910年(明治四十三年)、警察当局は丸茂一家に対して「博徒結合罪」を適用して森田常吉をはじめとする大勢の幹部を逮捕します(*1)。幹部の大量逮捕を機に、丸茂一家は消滅しました(*1)。丸茂一家の構成員の外見的な特徴として、手の「桃の刺青」がありました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『ヤクザ大辞典 親分への道』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p296
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