九州・福岡県福岡市に拠点を置く福博会は、1985年9月に立ち上げられた親睦団体「福博睦会」を源流とします(*1)。梅津会、羽衣会、太田会、強友会、太住会、平野組、中丸会、永尾一家の博多地区の独立団体に加えて、山口組2次団体・伊豆組の計9団体によって親睦団体「福博睦会」は構成されていました(*2)。福博睦会はトップ職を置かず、代紋(組織の家紋)も持たない文字通りの親睦団体でした(*3)。1990年8月、福博睦会の伊豆組を除く地元8団体が新団体・福博連合を結成します(*1)。福博連合は、親睦団体ではなく、2次団体の集合体、言い換えれば「連合型の1次団体」という位置づけで結成されました(*1)。組織結成時、8団体のトップ間で五分の義兄弟盃が交わされました(*1)。福博連合はトップ職を置かず、月当番で8団体のトップに「世話役」を担当させる方式で、組織運営をしていました(*1)。8団体の平等性を優先した1次団体でした。伊豆組は、組長の伊豆健児が「福博連合の顧問」に就任する形で、福博連合に関与していました(*1)。山口組とは友好関係にはありました。また福博連合は代紋を作りました(*1)。
1992年、福博連合は福博会に組織名を変えて、同時に組織改革も行いました(*1)。組織改革として、福博連合ではなかったトップ職が設けられました(*1)。福博会の初代会長には、梅津会トップの梅津明が就きました(*1)。翌年1993年6月、梅津明は五代目山口組渡辺芳則組長から舎弟盃を受けました(*1)。「代紋違いの舎弟」になったことで、福博会は山口組と親戚関係になりました(*1)。1992年に施行された暴対法に、福博会は即時指定されませんでした。福博会が「指定暴力団」に指定されたのは2000年2月でした(*1)。1999年に起きた福博会の内部抗争が要因の1つとされています(*1)。「指定暴力団」の指定要件として、「資金獲得のために威力を利用することを構成員に容認していること」「犯罪経歴の保有者が一定の割合以上存在していること」「代表者等の統制のもとに階層的に構成されていること」の3つがあります(*4)。3つ全て満たしたと見なされた組織が、都道府県の公安委員会によって「指定暴力団」として指定されます(*4)。発足から指定される8年間、福博会が3要件を満たしていなかったことが要因なのか、それとも恣意的に指定されなかったのかは分かりません。
<引用・参考文献>
*1 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p170-172
*2 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p165
*3 『現代ヤクザ大事典』, p45
*4 『マル暴捜査』(今井良、2017年、新潮新書), p28
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