ヤクザ業界において「仁義」とは、元々「旅先における他組織に対する挨拶方法」を意味していました(*1)。旅に出たヤクザ組織の者は、旅先で他組織から食事や寝床の提供等を受けました。他組織の屋敷に上がる前に、「提供を受ける側の者」は口頭の挨拶で「ヤクザ組織の一員である」ことを示す必要がありました。「仁義の切り方」には型があり、仁義の切り方が下手だった場合、他組織から追い返されることもあったようです(*1)。昔のヤクザ組織の者にとって、「仁義」は「通行手形」の機能を担っていたと考えられます。
「仁義」の作法は、ヤクザ組織の前に木挽(こびき)職人の間で用いられていたとも言われています(*1)。木挽とは、現在の「製材」に該当します。木挽職人は旅修行に出ていました(*1)。
「仁義」は、博徒組織及びテキヤ組織の両方で実施されていました(*2)。テキヤ組織の「仁義」は、「まわりメンツー」と呼ばれました(*2)。まわりメンツーは、高市(祭りや縁日)(*3)のショバ割り(露店の場所決め)前に、行われました(*2)。高市に参加するテキヤ組織の構成員(露店商)が集合、円を作り「右回り」の順番で仁義を切っていくのが、まわりメンツーのやり方でした(*2)。高市の庭主(露店の場所決め権限を持つ人)(*3)等が中央に座りました(*2)。まわりメンツーにより、露店商全員が、他の露店商の情報を共有できていたと考えられます。まわりメンツーには、実用的な側面もあったことが窺えます。
<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2015年6月号, p104-105
*2 『実話時代』2015年6月号, p110-113
*3 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p85
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