「姉ヶ崎一門」(姉ヶ崎の本家、姉ヶ崎系統の一家群、姉ヶ崎系統の分家群)の東京勢は、新宿を活動拠点の1つとしてきました(*1)。
1980~1990年代には姉ヶ崎は東北でも活動していました(*2) (*3)。「姉ヶ崎八神会」は秋田県北部の大舘市を拠点に活動していた「姉ヶ崎一門の組織」でした(*2)。しかし1990年以降、姉ヶ崎八神会は稲川会に移籍、後に「稲秋会」に改称しました(*2)。1996年時の宮城県で姉ヶ崎の組織が活動していたことが分かっています(*3)。
新宿を拠点にした姉ヶ崎系組織は、神社内の露店営業で熊手等を販売していました(*4)。新宿の姉ヶ崎の組織は「姉ヶ崎会」に属していた一方、山口組2次団体・後藤組(1984~2008年まで山口組2次団体として活動)(*5)にも属していました(*4)。当時、姉ヶ崎一門の宗家(もしくは一門の本部のようなところ)が、一家及び分家に対し強い拘束力を持たなかった、別の見方をすれば各地域の一家及び分家に裁量権を持たせていたことが考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『洋泉社MOOK・山口組・東京戦争』(有限会社創雄社編、2005年、洋泉社), p71
*2 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p149
*3 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p223-224
*4 『職業としてのヤクザ』(溝口敦+鈴木智彦、2021年、小学館新書), p159
*5 『六代目山口組10年史』(2015年、メディアックス), p227
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