2010年各都道府県で暴力団排除条例が施行されていきました(*1)。翌2011年には全都道府県が暴力団排除条例施行に至りました(*2)。暴対法(1992年施行)に基づく「指定暴力団」(公安委員会より指定される)(*3)に該当しないテキヤ組織も「暴力団排除条例」の適用を受けました(*4)。2011年以降テキヤ業界では、広域ヤクザ組織からの脱退、解散を選ぶ組織が目立ちました(*2)。2011年以降、警察当局及び行政側はテキヤ組織による高市(祭りや縁日)の露店営業を認めなくなりました(*4)。
高市における露店の配置決めは、庭主(地元のテキヤ組織の親分)の裁量で行われていました(*5)。しかし2011年以降露店の配置決めにおいて、庭主は関与できなくなりました(*2)。
新宿の花園神社は、くじ引きにより露店の配置を決定する方法をとりました(*2)。しかし、くじ引きでは同じ売り物の露店が並んでしまうリスクがあります(*2)。花園神社は人為的な調整も入れて露店を配置しているようです(*2)。
<引用・参考文献>
*1 『教養としてのヤクザ』(溝口敦+鈴木智彦、2019年、小学館新書), p140
*2 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』(猪野健治、2015年、筑摩書房), p195-197
*3『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p158
*4『溶けていく暴力団』(溝口敦、2013年、講談社+α新書), p87-89
*5『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』(山平重樹、2008年、徳間文庫), p157
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