太平洋戦争終了の前後(1945年前後)、興行の1つに仮設興行がありました(*1)。仮設興行は、神社や寺院境内、グラウンドなどの仮設施設で実施されました(*1)。主にテキヤ組織が仮設興行を手掛けていました(*1)。仮設興行は、テキヤ組織の資金獲得源の中で上位を占めていました(*2)。
仮設興行の内容としてはサーカス、移動動物園、化物屋敷、女プロレス、ストリップなどがありました (*3) (*2)。仮設興行はテキヤ業界では「高物(たかもの)」と呼ばれました(*3)。サーカスに関しては、熊本県のテキヤ組織・八木一家は八木サーカス(*3) (*4)、北海道のテキヤ組織・木暮一家は木暮サーカス(*3) (*5)に関与していました。
仮設興行の規模を表す言葉として、「特大」「大荷」「中荷」「小荷」がありました(*2)。「荷」は、「一座の組織化」を意味する興行用語です(*6)。文字から推測するに、「特大」が最も規模が大きく、「小荷」が最も規模が小さい仮設興行を意味していたと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2019年9月号, p83
*2 『洋泉社MOOK・「愚連隊伝説」彼らは恐竜のように消えた』「「戦後復興」と共に歩み 「高度経済成長」によって消えた愚連隊 狂気と無垢を孕む奈落の男たちが、漆黒の時代を駆ける」(猪野健治、2002年、洋泉社), p17
*3 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p52-53
*4 『実話時代』2016年4月号, p15
*5 『実話時代』2016年10月号, p109
*6 『興行界の顔役』(猪野健治、2004年、ちくま文庫), p426
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