海水浴場にも進出していたテキヤ組織

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 テキヤ組織は「高市(タカマチ)」と呼ばれた縁日や祭りに露店を出し、収益を上げていました (*1)。一方、テキヤ組織は、駅前広場や盛り場の路上にて露店商売を日常的にしていました (*2)。駅前広場や盛り場の路上にて露店商売を日常的にすることは「ヒラビ」と呼ばれました(*2)。ヒラビとは常設露店のことでした。

 太平洋戦争終了(1945年)後、ヒラビ(常設露店)は禁止されました(*3)。東京都では1950年3月道路上の常設露店が全面禁止され、同年内に常設露店は消えました(*4)。

 テキヤ組織は海水浴場でも露店商売を行っていました(*5)。「丁字家」系のテキヤ組織は葉山町の森戸海岸、鎌倉市の材木座、逗子などの海水浴場に出店の権利を持っていました(*5)。

 テキヤ組織「早川一家」は鎌倉市を拠点に活動していました(*6)。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』(山平重樹、2008年、徳間文庫), p154-155

*2 『新・ヤクザという生き方』「全丁字家誠心会芝山一家物語」(朝倉喬司、1998年、宝島社文庫), p204-206

*3 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p177

*4 『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫),p188,195

*5 『新・ヤクザという生き方』「全丁字家誠心会芝山一家物語」, p219-220

*6 『公安大要覧』(藤田五郎、1983年、笠倉出版社),p391

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