1981年山口組三代目田岡一雄組長が死去しました(*1)。三代目体制下の1960年代後半、2次団体トップらが総本部(1次団体)に払う会費(上納金)は月額約2万円でした(*2)。年間に直すと、会費額は24万円でした。しかし「慶弔費」は別であり、2次団体トップらは求めに応じて慶弔費を払っていました(*2)。
一方、兵庫県警の調べによると、三代目田岡一雄組長体制(1946~1981年)時の1974年、2次団体トップらの「年間上納額」は100万円でした(*3)。この「年間上納額」には慶弔費が含まれていたかは不明です。
田岡一雄組長死去の翌1982年、2次団体トップらの会費は月額20万円に変更されました(*2)。手元の資料から直近1981年時点の会費額は不明です。1984年山口組四代目組長に竹中正久が就きました(*2)。竹中正久組長は2次団体トップらの会費を月額60万円に増額しました(*2)。会費額は一気に3倍となりました。
竹中正久の四代目組長就任に反対する勢力が1984年山口組を脱退し(*4)、2次団体トップらの数が少なくなったことが、1人あたりの増額につながったと考えられます。さらに1987年6月からは、2次団体トップらの会費は月額80万円に増額されました(*2)。80万円増額の背景には、当時脱退派(一和会)との抗争中であり、「戦費調達」の目的もあったと考えられます。
以上から四代目体制(1984~1989年)の会費は、1984~1987年5月までは月額60万円、1987年6月~1989年までは月額80万円だったことが分かります。
1989年山口組五代目渡辺芳則組長体制が開始されてからは、2次団体トップらの会費は直参85万円、最高幹部・舎弟105万円に変更されました (*2)。
<引用・参考文献>
*1 『洋泉社MOOK 「山口組血風録」写真で見る山口組・戦闘史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、1999年、洋泉社), p162
*2 『洋泉社MOOK・山口組・50の謎を追う』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社), p189-190
*3 『公安百年史 - 暴力追放の足跡』(藤田五郎編著、1978年、公安問題研究協会),p720
*4 『洋泉社MOOK 「山口組血風録」写真で見る山口組・戦闘史』, p181-182
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