バンディドスのシドニー・ダウンタウン支部のコカインビジネス

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 2000年代前半オーストラリア・シドニー(ニューサウスウェールズ州の州都)の違法薬物市場では「バンディドス」(Bandidos)シドニー・ダウンタウン(Sydney downtown)支部のモンク(Monk)一派が「コカインの主な供給役」として活動していました(*1)。

 バンディドスは1983年オーストラリアに進出し、シドニーに支部を設立しました(*2) (*3)。バンディドスはアメリカ合衆国系のバイカーギャングでした(*2)。バンディドス・シドニー勢の源流は「コマンチェロズ」(Comancheros)でした(*3)。コマンチェロズはオーストラリア発祥のバイカーギャングでした(*4)。

 1983年以前にコマンチェロズは分裂し、2つの支部(シドニー都市部、西シドニー郊外) に分かれました(*3)。後にシドニー都市部の勢力が、先述したように、バンディドスに入りました(*3)。結成の翌年(1984年)にバンディドス・シドニー勢とコマンチェロズの間で抗争(通称「ミルペラの虐殺」)が勃発しました(*3)。

 モンク一派のトップはロドニー・モンク(Rodney Monk)でした(*1)。モンク一派は毎月コロンビア産のコカインをオーストラリアに密輸していると、警察組織は見ていました(*1)。加えてロドニー・モンクは、各地域のコカイン流通(卸から小売レベル)を仕切る組織と手を結び、手を結んだ組織にコカインを卸しました(*5)。モンク一派は主に「元売り」の役割を担っていたと考えられます。

 ロドニー・モンクは2006年射殺されました(*5)。

 アメリカ合衆国のバンディドスも違法薬物ビジネスを手掛けていました(*6)。アメリカ合衆国のバンディドスはメタンフェタミン(覚醒剤)ビジネスに加えて、コカインやマリファナの輸送、流通ビジネスにも取り組んでいました (*6)。

 オーストラリア犯罪情報委員会によれば、2019-2020年コカインの押収量は763.6kgでした(*7)。前年(2018-2019年)の押収量が1,049.7kgだった為(*7)、前年対比は約73%(0.73倍)になりました。また約10年前の2010–2011年の押収量が701.8 kgだった為(*7)、約10年前に比べると、コカインの押収量は約109%(1.09倍)になったことが分かります。ちなみに日本ではコカインの押収量(密輸入)は近年【2016年】13.9kg→【2017年】8.3kg→【2018年】40.2kg→【2019年】33.4kg→【2020年】22.8kgにて推移しています(*8)。押収量からみると、日本に比し近年のオーストラリアではコカインが多く流通していることが分かります。

<引用・参考文献>

*1 『OUTLAWS  THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』(Adam Shand,2013,Allen & Unwin), p185-186

*2 『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』(Alex Caine,2010,Vintage Canada),p154

*3 『OUTLAWS  THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』, p187-188

*4 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin), p71

*5 『OUTLAWS  THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』, p189-190

*6 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge), p111

*7 オーストラリア犯罪情報委員会サイト内「違法薬物データレポート2019–20」の「コカイン 2019–20」,p89

*8 警察庁「令和2年における 組織犯罪の情勢」, p46

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