ポリネシア系ストリートギャングにおける組織体系化の失敗

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 アメリカ合衆国系バイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)は1961年7月オークランド(Auckland)支部を開設し、ニュージーランド進出を果たしました(*1)。以降、ニュージーランドにおけるポリネシア系ストリートギャングは、組織の体系化(制度の導入等)が進んでいるヘルズ・エンジェルスに倣い、組織の体系化に着手していきました(*2)。

 しかし制度を導入するものの、運用面において「画一性」を担保できず、ポリネシア系ストリートギャングの多くは、体系化に失敗しました(*2)。どのストリートギャングもバイカーギャングのように組織専用ワッペン(patch)を上着背部に付けることの導入に至ったものの、組織によってはバイカーギャングでは認められる「秘書」「会計」などの役職を設けない、またはバイカーギャング内で認められる「民主的手続き」ではなく、暴力行使により統治権の変更をする場合がありました(*2)。

 一般的なバイカーギャングでは、組織(支部)内の重要事項は、構成員(「パッチホルダーズ」以上)の投票により決定されました(*4)。次期役職者を決める際も、構成員の投票で行われました(*4)。ただし支部長には決議(投票で決まったこと)の「拒否権」が付与されていました(*4)。また「プロスペクツ」(Prospects)と呼ばれた者(パッチホルダーズより下の地位)には、支部定例会議の参加権及び投票権は与えられませんでした(*4)。

  比較的にですが体系化に成功したポリネシア系ストリートギャングが「ストームトルーパーズ」(the Stormtroopers)でした(*2)。他のポリネシア系ストリートギャングが短命に終わった一方で、ストームトルーパーズは長く活動していきました(*2)。背景にはストームトルーパーズが組織の体系化に取り組んだことが挙げられます(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin),p26

*2 『Patched: The History of Gangs in New Zealand』(Jarrod Gilbert,2021,Auckland University Press), p54-55

*3 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』, p82

*4 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge), p98-99

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