2000~2010年代のメキシコ麻薬カルテルにとってロサンゼルス市(カリフォルニア州)、ヒューストン市(テキサス州)、フェニックス市(アリゾナ州)の3都市はアメリカ合衆国内における違法薬物の流通拠点でした(*1)。3都市を抱える各州ともメキシコに接しています。ロサンゼルス市にはティファナ・カルテル、ヒューストン市にはセタスが主に違法薬物を供給していました(*1)。
フェニックス市を抱えるアリゾナ州には、隣接するメキシコのソノラ州から多数の人々が向かい、不法移民となりました(*1)。ソノラ州(メキシコ)→アリゾナ州(アメリカ合衆国)は不法移民の主要国境超え経路として知られていました(*1)。ソノラ州では当時シナロア・カルテルが仕切っていました(*1)。2005~2010年にはかつてコロンビアの麻薬カルテルが「コカイン及びヘロインの供給先」としていたフロリダ州、中部大西洋沿岸地域、ニュージャージー州、ニューヨーク州、ニューイングランド地方にもメキシコ麻薬カルテルは浸食していった模様です(*2)。アメリカ合衆国東海岸でもメキシコ麻薬カルテルは影響力を及ぼすようになっていったのです。
図 メキシコのソノラ州の地図(出典:Googleマップ)
主にカリフォルニア州で活動してきた「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)は1990年代中期、地元のバイカーギャング「ダーティー・ダズン」(Dirty Dozen)を傘下に収める形で、アリゾナ州に進出しました(*3)。ダーティー・ダズンはアリゾナ州の中で凶暴な組織として知られ (*4)、構成員120人程度を擁していました(*5)。しかしヘルズ・エンジェルスは傘下に収めるにあたって、旧ダーティー・ダズン構成員の選抜を実施、42人の構成員だけを採用しました(*5)。
ヘルズ・エンジェルスのアリゾナ州進出の背景には、最高実力者のラルフ・“ソニー”・バージャー(Ralph “Sonny” Barger)の出所、カリフォルニア州での資金獲得事情がありました(*4)。1987年11月FBI(連邦捜査局)等はラルフ・“ソニー”・バージャーを逮捕しました(*4)。裁判の結果、共謀罪を問われたバージャーは有罪判決を受け、アリゾナ州の施設で服役することになりました(*4)。
1992年バージャーは出所し、元々の活動拠点のオークランド(カリフォルニア州)ではなく、アリゾナ州で活動することを決めました(*4)。1987年のバージャー逮捕に伴う捜査で、ヘルズ・エンジェルスのメタンフェタミン製造者らも検挙されており(*4)、カリフォルニア州におけるヘルズ・エンジェルスのメタンフェタミン製造ビジネスが停滞していたことが推測されます。バージャーとしては組織の資金獲得面においても、新たな活動拠点を探す必要が当時あったと考えられます。
1980年代からメキシコ麻薬カルテル側はコロンビアのコカインをアメリカに密輸していました(*3)。コカインの主要密輸経路の1つが、不法移民が国境越えに使った「ソノラ州(メキシコ)→アリゾナ州(アメリカ合衆国)」の経路でした(*3)。ソノラ州(メキシコ)→アリゾナ州(アメリカ合衆国)は「密輸コカインの大動脈」だったのです。ダーティー・ダズンは元々、アリゾナ州内の違法薬物ビジネスに深く関与していました(*6)。
違法薬物ビジネスを巡りダーティー・ダズンは「ヴァゴス」(Vagos)、「デビルズ・ディサイプルズ」(Devil’s Disciples)、「モンゴルズ」(Mongols)という他のバイカーギャングと抗争し、追い払ってきました(*6)。ヘルズ・エンジェルス側のアリゾナ進出の目的は、メキシコからの密輸コカインの大動脈をおさえることにあったと考えられます。
シナロア・カルテルは、シナロア州及びソノラ州南部を拠点に活動する小規模の麻薬組織が集う形で、1990年頃結成されました(*7)。シナロア・カルテル結成を主導したのがホアキン・“エル・チャポ”・グスマン・ロエラ(Joaquin “El Chapo”Guzmán Loera)でした(*7)。シナロア・カルテル結成の背景には、アメリカ合衆国国境にあるティファナ市(バハ・カリフォルニア州)の麻薬組織に対する反発がありました(*7)。
当時シナロア州及びソノラ州南部の麻薬組織は、主にバハ・カリフォルニア州を通って、マリファナやヘロインをアメリカ合衆国に密輸していました(*7)。バハ・カリフォルニア州の通行時には、シナロア州及びソノラ州南部の麻薬組織は「通行料」(デレッチョ・デ・ピソ)を地元組織に支払っていました(*7)。特にティファナ市の麻薬組織は「高い通行料」を他組織に課していました(*7)。シナロア州及びソノラ州南部の麻薬組織にとって、バハ・カリフォルニア州通行時の高い費用は「懸案事項」でした。
ホアキン・グスマンはシナロア州及びソノラ州南部の麻薬組織に対し、ソノラ州(メキシコ)→アリゾナ州(アメリカ合衆国)経路による「アメリカ合衆国への直接密輸」を提案したのです(*7)。1980年代後半にすでにホアキン・グスマンはソノラ州→アリゾナ州の密輸経路を開拓していました(*7)。1980年代後半ホアキン・グスマンは「アグアプリエタ(ソノラ州)の一軒家」から「ダグラス(アリゾナ州)の倉庫」に至る地下トンネルを作り、その地下トンネルを「違法薬物の密輸経路」としていました(*7)。ホアキン・グスマンは早くからソノラ州-アリゾナ州経路を開拓し、その可能性を知っていたのです。シナロア州及びソノラ州南部の麻薬組織は、ホアキン・グスマンの提案に可能性を感じ、シナロア・カルテルの参加を決めたと考えられます。
「密輸コカインの大動脈」(ソノラ州→アリゾナ州)形成の背景には、シナロア・カルテルによる「供給経路変更」というメキシコ側の動きがあったのです。
ヘルズ・エンジェルスは2012年時点で、北米(アメリカ合衆国、カナダ)に120支部を擁していました(*8)。一方、トーマス・バーカーがヴァゴス(vagosmcworld.com/)とモンゴルズとのサイトを調べたところ、2014年時点でヴァゴスはアメリカ合衆国10州に支部を置き(*9)、モンゴルズは14州に106支部を置いていました(*10)。3組織ともアメリカ合衆国内の複数州に支部を持っており、自組織内に支部間の広域ネットワークを形成していたと考えられます。違法薬物ビジネスにおいてバイカーギャング内の広域ネットワークは「違法薬物の広域流通網」に化したと考えられます。
広域流通網とはすなわち「広大な販路」のことであり、メキシコ麻薬カルテルはバイカーギャングを「大量の違法薬物を捌ける組織」と捉えていたと考えられます。メキシコ麻薬カルテルにとってバイカーギャングは提携したい組織だったはずです。
「メキシコ発アメリカ合衆国行き経路」の代表的な密輸品は違法薬物であった一方、反対方向の「アメリカ合衆国発メキシコ行き経路」の代表的な密輸品は銃でした(*11)。アメリカ合衆国に比しメキシコの銃規制は厳しかったです(*11)。銃規制の緩いアメリカ合衆国で購入された銃がメキシコに渡れば、アメリカ合衆国の2~5倍の価格で売れました(*12)。銃の違法転売ビジネスは高い利益率を期待できたのでした。
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ヘルズ・エンジェルスを描いたドキュメンタリー番組があります。
ヘルズ・エンジェルスのドキュメンタリーはこちらから見れます<引用・参考文献>
*1 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、2014年、現代企画室), p341-342
*2 『OUTLAWS THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』(Adam Shand,2013,Allen & Unwin), p117
*3 『OUTLAWS THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』, p111
*4 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』(William Marsden&Julian Sher,2007,Hodder & Stoughton), p58-59
*5 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p60
*6 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p61
*7 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p155-156
*8『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin), p62
*9『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge),p122-123
*10『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』,p120
*11 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』,p300-301
*12 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p63
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