バイカーギャングの中には組織情報を公開しない組織がありました。オーストラリアの「オーディンズ・ウォーリアーズ」(Odin’s Warriors)は秘密主義をとるバイカーギャングでした(*1)。オーディンズ・ウォーリアーズはオーストラリアを発祥とするバイカーギャングでした(*1)。アーサー・ベノによれば2012年時点でクイーンズランド州、メルンボルン(ビクトリア州の州都)にてオーディンズ・ウォーリアーズは活動しており、また他のバイカーギャングとは手を結んでいなかったと、見られていました(*1)。
オーストラリアには「役職をあまり置かないバイカーギャング」もありました。「フィンクス」(Finks)はオーストラリアを発祥とするバイカーギャングで、「衛視長」(Sergeant at Arms:サージャント・アット・アームズ)を除き、役職を設けませんでした(*1)。通常バイカーギャングには衛視長の他に、支部長(President)、副支部長(Vice President)、秘書(Secretary)、会計(Treasurer)の役職が設けられます(*2)。
フィンクスの特徴としては、他組織に比し、定例会議(週次会議)の出席ルール、立ち振る舞いの規則が緩かったことも挙げられます(*1)。フィンクスは海外進出をせず、また望んでもいませんでした(*1)。フィンクス構成員にはアボリジニ、イスラム教徒(ムスリム)等もおり、人種や宗教の出自は多様でした(*1)。他のバイカーギャングと比べると異なる点が多いことから、フィンクスは独自の考えに基づいて組織を運営していたことが窺えます。
フィンクスは1969年ニューサウスウェールズ州の田舎で、ベトナム戦争(1964~1975年)の戦闘任務資格を持たない農民の息子らによって結成されました(*1)。当時のオーストラリアはアメリカ合衆国を応援する為、ベトナム戦争に参戦していました。一方、フィンクスは1969年、南オーストラリア州のアデレードで結成されたという説もあります(*3)。
フィンクスは1971年ヘルズ・エンジェルス(Hell’s Angels)と抗争を起こました(*1)。翌1972年フィンクス7人の構成員がヘルズ・エンジェルスの支部長を射殺しました(*1)。フィンクスとヘルズ・エンジェルスの苛烈な抗争は38年間続きました(*1)。フィンクスが「衛視長」のみ役職を設けた背景には、ヘルズ・エンジェルスとの長期抗争があったと考えられます。フィンクスは抗争の為に、戦闘部隊を常に保持し続ける必要があったのでしょう。
2012年時点でフィンクスはオーストラリア国内全体で約150人の構成員を擁していました(*1)。ニューサウスウェールズ州に3つ、南オーストラリア州に2つ、ビクトリア州に1つ、フィンクスの支部がありました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2009,Allen & Unwin), p71-73
*2 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge), p98-99
*3 『The One Percenter Encyclopedia: The World of Outlaw Motorcycle Clubs from Abyss Ghosts to Zombies Elite (English Edition)』Kindle版「Finks」(Bill Hayes,2018, Motorbooks)
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