カリブ海に浮かぶオランダ領・キュラソーはかつて「南米発ヨーロッパ行きのコカイン密輸経路の経由地」でした(*1)。特にアメリカ合衆国系バイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)のヨーロッパ勢は同経路からコカインを仕入れていました(*1)。
図 キュラソーの地図(出典:Googleマップ)
キュラソーは南米ベネズエラの北側にある島で、南米大陸から近い距離に位置しています。元々キュラソーは「南米大陸の密輸拠点」として知られていました(*1)。「南米大陸発キュラソー経由海外行き」の代表的な密輸品としてはコカインがありました(*1)。逆に南米大陸に入ってくる代表的な密輸品としては煙草、電子機器、家電製品がありました(*1)。
ベネズエラとコロンビアにおいて煙草、電子機器、家電製品の正規輸入は「高い関税」が課せられました(*1)。つまりベネズエラとコロンビアでは該当商品を扱う販売業者にとって、正規輸入の高関税は「仕入れ費用の増大」を意味しました。密輸は「仕入れ費用の軽減」を意味したのです。
キュラソー在住の密輸業者アンジェロ・ディアス(Angelo Diaz)が主にヘルズ・エンジェルスのヨーロッパ勢のコカイン供給役を担っていました(*1)。アンジェロ・ディアスの表の顔は漁師でした(*1)。
アンジェロ・ディアスの父はリン鉱石の鉱山で働く為に、キュラソーに移住しました(*1)。後に生まれたアンジェロ・ディアスはオランダ人女性と結婚し、一時期オランダ本国に住んでいました(*1)。アンジェロ・ディアスはアウトローバイカーで、「カリビアン・ブラザーフッド」(Caribbean Brotherhood)というキュラソーのギャング団に属していました(*1)。カリビアン・ブラザーフッドはヘルズ・エンジェルスのサポートギャングでした(*1)。アンジェロ・ディアスはヘルズ・エンジェルスの構成員ではなかったものの、「ヘルズ・エンジェルスの代理人」の役割を南米で果たしていたことが推測されます。
ヘルズ・エンジェルスは1977年オランダの首都・アムステルダムに仮支部を設立、オランダに進出しました(*2)。翌1978年アムステルダム仮支部は「支部」に昇格しました(*2)。後にアムステルダム支部は「ヘルズ・エンジェルスのヨーロッパ勢」の本部(mother chapter)になりました(*3)。
密輸手段の1つとして、キュラソーに駐在するオランダ海軍兵士の帰国便がありました(*1)。「コカイン運搬役」の兵士がコカイン入りのダッフルバックを持って帰国便に乗り、オランダ本国まで運びました(*1)。オランダ空軍が帰国便を運航していたこともあり、帰国便の荷物チェックは緩かったです(*1)。
当時キュラソーにおけるコカイン価格は1kgあたり約3,000米ドルでした(*4)。一方、ヨーロッパにおけるコカイン価格は1kgあたり約25,000米ドルでした(*4)。密輸団はキュラソーからヨーロッパにコカインを移動させるだけで、大きな利幅を得ることができました。
アムステルダムのスキポール空港などの民間空港においても「キュラソー発オランダ本国行きの便」における荷物チェックは甘かったです(*1)。アンジェロ・ディアスはKLM航空などの便を用いてキュラソーからオランダ本国にコカインを密輸していきました(*1)。キュラソーはオランダ領ゆえに、キュラソー発オランダ本国行きの便は「国内線」という認識であったと考えられます。「キュラソー→オランダ本国」における監視体制の不備を突く形で、アンジェロ・ディアスはコカインをヨーロッパに供給していたことが分かります。
アンジェロ・ディアスは主に「コロンビア革命軍」(FARC)からコカインを仕入れていました(*1)。FARCは「Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia-Ejercito del Peblo」の略です(*5)。FARCは1958年、コロンビア共産党の軍事部門として立ち上げられました(*5)。FARCの前身は「対保守党政権」の性格を持つ農民自衛武装組織でした(*5)。FARCは左翼ゲリラ組織に位置づけられ、時のコロンビア政権と戦闘をし続けてきました(*5)。
コロンビアを含む南米アンデス山脈の先住民社会では昔からコカインの原料・コカ葉を咬む習慣がありました(*6)。当時「コカ葉を咬む」行為自体は合法でした(*6)。コカ葉を原料に加工及び精製したのがコカインになります(*6)。1969年コロンビアで初めてコカインが精製されました(コロンビアでコカインが初めて「密造」されたという意味で、コカイン自体は昔からありました)(*6)。1969年以降、コロンビア産コカインは世界の違法薬物市場を席捲していきました(*6)。
1980年代以降コカイン需要の増加に伴い、FARCにおいてコカイン密輸ビジネスは重要な資金獲得源となっていきました(*5)。FARCの主なコカイン供給先としては、アメリカ合衆国がありました(*5)。またFARCは「バスク祖国と自由(ETA)」「アイルランド共和国軍(IRA)」、「アル・カイダ」、ロシア・マフィア等などとコカイン密輸ビジネスで手を組んでいました(*5)。つまりアンジェロ・ディアス及びヘルズ・エンジェルスは、FARCのビジネスパートナーの1つに過ぎなかったのです。
次第にオランダ税関は「キュラソー→オランダ本国」の監視体制を強めていきました。まず乗客に対する手荷物検査が抜き打ちで行われました(*1)。密輸団は対策として、運搬役にコカイン入りのコンドームを飲み込ませる方法をとりました(*1)。コカインは運搬役の胃の中に「隠れる」為、手荷物検査ではコカインを発見することができません。2003年とうとうオランダ税関は全乗客に手荷物検査を実施、また胃を対象とするX線検査も導入しました(*1)。検査を厳しくしたことにより、2003年以降のオランダでは、コカイン密輸関連の検挙数は増加しました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』(William Marsden&Julian Sher,2007,Hodder & Stoughton), p224-225
*2 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p236-238
*3 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p226
*4 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p227
*5 『エリア・スタディーズ52 アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るための55章』「麻薬テロリズム-左翼テロ組織「FARC」の実態」(大泉光一、2020年、明石書店),p173-179
*6『コロンビア内戦―ゲリラと麻薬と殺戮と』(伊高浩昭、2003年、論創社), p110-113
コメント