メキシコにはケシ栽培地域がありました(*1)。19世紀後半中国人移民がシナロア州(メキシコの太平洋沿岸にある州)にケシの種を運び込みました(*2)。当時鉱山労働や鉄道建設の為に、中国からメキシコに移民が来ていたのです(*2)。中国人移民はシナロア州にアヘンも持ち込んでいました(*2)。
ケシは「アヘン」の原料です(*3)。さらにアヘンを精製したのが「モルヒネ」で、モルヒネを精製したのが「ヘロイン」になります(*4)。アヘン、モルヒネ、ヘロインの3つとも「中枢神経抑制」の役割を果たす薬物です(*5)。現在の日本では、アヘンは「あへん法」(*6)、モルヒネとヘロインは「麻薬および向精神薬取締法」(*6) (*7)により違法薬物とされており、違反者は処罰対象となります。アメリカ合衆国においてもハリソン麻薬法(1914年制定)によりヘロインは違法薬物となっています(*8)。
メキシコのケシ栽培地域としては「黄金三角地帯」(Triángulo Dorado)が有名でした(*1)。黄金三角地帯はシナロア州、ドゥランゴ州、チワワ州の3州で構成されていました(*1)。ケシは黄金三角地帯の山岳で栽培されてきました(*1)。シナロア・カルテル(Sinaloa Cartel)が長年、黄金三角地帯を支配していました(*9)。
図 シナロア州、ドゥランゴ州、チワワ州の地図(出典:Googleマップ)
ケシ乳液を乾燥させたものは「ペイスト」(英語名:paste)と呼ばれました(*9)。2019年時点黄金三角地帯ではケシのペイスト1kgが約1万3,000ペソで、各麻薬カルテルのバイヤー(買い付け担当者)らに販売されました(*9)。ちなみに同時期、黄金三角地帯で栽培されたマリファナ(乾燥大麻)1kgは約250ペソで販売されていました(*9)。黄金三角地帯の乾燥大麻が安い理由としては、低品質、アメリカ合衆国内の複数州におけるマリファナ合法化、アメリカ合衆国内における高品質マリファナの存在が挙げられました(*9)。
「バイヤーに購入されたペイスト」は山岳から近くの都市まで運ばれ、違法精製所にてヘロインに精製されました(*9)。2019年時点違法精製所で作られたヘロイン1kgは約70万ペソの価値があるとされました(*9)。そのヘロイン1kgは、2019年時点アメリカ合衆国内の取引業者らの間では、約200万ペソの価格で取り扱われていたと考えられています(*9)。メキシコ麻薬カルテルにとって「アメリカ合衆国向けのヘロインビジネス」は、利幅の大きいビジネスであったことが分かります。
1990年代前半までのメキシコ産ヘロインは「低品質」として知られていました(*9)。当時メキシコ麻薬カルテル側が熟練化学者や充分な設備を揃えられなかったことが、低品質ヘロイン製造の背景にありました(*9)。当時のメキシコ産ヘロインは「ブラウン・ヘロイン」(Brown Heroin)と呼ばれました(*9)。一方、当時のアメリカ合衆国内における高品質ヘロインとしてはアフガニスタン産及びアジア産が知られていました(*9)。高品質ヘロインは「ホワイト・ヘロイン」(White Heroin)とも呼ばれていました(*9)。
ブラウン・ヘロインは主に吸煙にて摂取されました(*9)。1950年代以降の香港でも低品質ヘロイン(純度の低いヘロイン。通称「3号ヘロイン」)は、吸煙にて摂取されました(*10)。一方香港の高品質ヘロインは「4号ヘロイン」(純正ヘロイン)と呼ばれ、4号ヘロインの主な摂取方法は注射でした(*10)。香港で流通したヘロインの原料ケシを供給していたのは、アジアの「黄金三角地帯」(先述のメキシコのとは異なる)でした(*11)。アジアの「黄金三角地帯」はタイ、ラオス、ミャンマーの国境地帯にあります(*11)。1980年代後半からは、アジアの「黄金三角地帯」でもヘロインが精製されていきました (*12)。
1990年代半ばからメキシコ麻薬カルテル側は精製の改良を図り、ヘロインの品質を向上させました(*9)。品質向上されたヘロインは「ブラック・タール・ヘロイン」(Black-Tar Heroin)と呼ばれました(*9)。ブラック・タール・ヘロインの純度は25~30%未満でした(*9)。ブラック・タール・ヘロインは主に注射により摂取されました(*9)。しかし1990年代半ばから2009年までのアメリカ合衆国のヘロイン小売市場では、アフガニスタン産高品質ヘロインが最も需要が高かったです(*9)。ヘロイン小売市場においてメキシコ産ヘロインは、アフガニスタン産ヘロインの後塵を拝していたのでした。
ちなみにアフガニスタンでは2000年7月当時のターリバーン政権がアヘン禁止令を出し、翌2001年以降は禁止によりアヘン価格が上昇し、小さなケシ畑でも高収益を上げることが可能になりました(*13)。アフガニスタン、パキスタン、イランに囲まれた地域は「黄金の三日月地帯」と呼ばれ、1990年代後半から「世界でも有数のケシの栽培地域」として知られるようになりました(*14)。
メキシコではベルトラン・レイバ機構(Beltrán-Leyva Organization)という組織が一時期、ブラック・タール・ヘロインの取引をほとんど独占していました(*9)。しかし2009年12月からベルトラン・レイバ機構の指導者達が殺害された結果、翌2010年ベルトラン・レイバ機構は瓦解しました(*9)。
2010年以降、メキシコ麻薬カルテルは、さらなる高品質ヘロイン(ホワイト・ヘロイン)を精製していきました (*15)。またメキシコ麻薬カルテルはホワイト・ヘロインの精製に比重を置くようになりました(*15)。2019年アメリカ合衆国の小売市場におけるメキシコ産ホワイト・ヘロイン(パウダー状)の純度は47%(平均)でした(*16)。
またメキシコ国内のケシ生産量は、2012年までに約3倍増加しました (*15)。メキシコ国内のケシ畑面積は約1万500ヘクタールになったと見積もられました(*15)。1ヘクタールは平方メートルに直すと、10,000㎡(100m×100m)になります。ケシ畑面積の増加から、メキシコ麻薬カルテル側が2010年代以降、ヘロインの量産体制を確立していったと考えられます。
アメリカ合衆国麻薬取締局(Drug Enforcement Administration)は2016年「ヘロイン国内監視プログラム」(Heroin Domestic Monitor Program)を通じて、国内27都市における末端市場(小売市場)で密売されているヘロインを入手(購入)し、「価格」「純度」「混ぜ物」等を調査しました(*17)。結果、このプログラムにおいて、購入総数667点のヘロインが購入されました(*17)。分析の結果、667点のうち543点のヘロインが「メキシコ産系」であると判別されました(*17)。全体の約81.4%がメキシコ産系だったのです。メキシコ産系543点のうち、278点のヘロインは「メキシコ産+南米産の混合」でした(*17)。
購入総数667点のうち4点のヘロインが「西南アジア産」(アフガニスタン産も含まれる)であると判別されました(*17)。つまり全体の約0.6%が西南アジア産だったのです。
2016年ヘロイン国内監視プログラムの調査だけから見ると、2016年時のアメリカ合衆国において、アフガニスタン産に比し、メキシコ産ヘロインの流通量は多かったと考えられます。
西南アジア産4点のうち、1点はフロリダ州マイアミで購入され(*18)、3点はワシントンD.C.で購入されました(*19)。マイアミの西南アジア産ヘロイン(1点)の純度は44%で、価格は0.57ドル(純度0.001グラムあたり)でした(*18)。ワシントンD.C.の西南アジア産ヘロイン(3点)の平均純度は12.1%で、平均価格は10.9ドル(純度0.001グラムあたり)でした(*19)。
ちなみにマイアミでは16点(マイアミでの購入総数)のうち9点のヘロインが「メキシコ産+南米産の混合」と判別されました(*18)。マイアミの「メキシコ産+南米産の混合」ヘロイン(9点)の平均純度は36%で、平均価格は1.1ドル(純度0.001グラムあたり)でした(*18)。残りは先述した西南アジア産1点、「生産地不明(南米で加工されたもの)」6点でした(*18)。
ワシントンD.C.では31点(ワシントンD.C.での購入総数)のうち19点のヘロインが「メキシコ産+南米産の混合」と判別されました(*19)。ワシントンD.C.の「メキシコ産+南米産の混合」ヘロイン(19点)の平均純度は31.2%で、平均価格は0.96ドル(純度0.001グラムあたり)でした(*19)。残りは先述したように西南アジア産の3点と、「南米産」2点、「生産地不明(南米で加工されたもの)」7点でした(*19)。
アメリカ合衆国東海岸の都市ボルチモア(メリーランド州)は長年「ヘロイン流通拠点」として知られてきました(*20)。ボルチモアには「港湾」と「東海岸を縦断できる高速道路」(州間高速道路95号線)があり(*20)、違法薬物の「陸揚げ地」としてはボルチモアは恰好の場所だったと考えられます。
先述の「2016年ヘロイン国内監視プログラム」では、ボルチモアにおいて25点のヘロインが購入されました(*21)。25点のうち22点のヘロインは「生産地不明(南米で加工されたもの)」と判別されました(*21)。ボルチモアの「生産地不明(南米で加工されたもの)」ヘロイン(22点)の平均純度は8.5%、平均価格は1.62ドル(純度0.001グラムあたり)でした(*21)。
25点のうち3点のヘロインは「メキシコ産+南米産の混合」と判別されました(*21)。ボルチモアの「メキシコ産+南米産の混合」ヘロイン(3点)の平均純度は30.1%、平均価格は0.2ドル(純度0.001グラムあたり)でした(*21)。
図 ボルチモア(メリーランド州)の地図(出典:Googleマップ)
<引用・参考文献>
*1 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p171
*2 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、2014年、現代企画室), p44
*3 『日中アヘン戦争』(江口圭一、2018年、岩波新書), p14
*4 『アジア遊学260 アヘンからよむアジア史』(内田知行、2021年、勉誠出版), p9
*5 『薬物依存症』(松本俊彦、2018年、ちくま新書), p31-32
*6 『アジア遊学260 アヘンからよむアジア史』(内田知行、2021年、勉誠出版), p6
*7 『マトリ 厚労省麻薬取締官』(瀬戸晴海、2020年、新潮新書), p106
*8 『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』(ベス・メイシー著、神保哲生訳、2020年、光文社), p42
*9 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p172
*10 『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』(溝口敦、2006年、講談社+α文庫),p248-249
*11 『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』,p246-247
*12 『アジア遊学260 アヘンからよむアジア史』「中華人民共和国の薬物問題 ― 国際社会における薬物を取り巻く動きが変化するなかで」(真殿仁美、2021年、勉誠出版), p175
*13 『アジア遊学260 アヘンからよむアジア史』「現代アフガニスタンのアヘン問題」(内田知行、2021年、勉誠出版), p202,204
*14 『アジア遊学260 アヘンからよむアジア史』「中華人民共和国の薬物問題 ― 国際社会における薬物を取り巻く動きが変化するなかで」, p177-178
*15『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p173
*16 アメリカ合衆国麻薬取締局サイト内「2020全米麻薬脅威評価(National Drug Threat Assessment)」(2021),p14
*17「2016 Heroin Domestic Monitor Program」(DEA Indicator Programs Section,2018),p2
*18「2016 Heroin Domestic Monitor Program」,p13-14
*19「2016 Heroin Domestic Monitor Program」,p19-20
*20 『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』, p225
*21「2016 Heroin Domestic Monitor Program」,p10
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