アメリカ合衆国における港湾労働者の組合は「強力な組織」として知られています。アメリカ合衆国の港湾労働者は、高い給与など待遇面で恵まれています(*1)。アメリカ合衆国の港湾施設は「平日夜」及び「週末」は閉業になる為、他国に比べて港湾施設の稼働時間は短いです(*1)。また港湾労働者組合は度々港湾ストライキを実行してきました(*1)。
港湾労働者組合には、労使交渉により多くの権利を獲得してきた歴史があります(*2)。ニューヨーク港、ニュージャージー港等の東海岸の港湾では「国際港湾労働者組合」(ILA)が活動してきました(*1)。国際港湾労働者組合はメイン州からテキサス州に及ぶ港湾労働者を対象としました(*3)。
アメリカ合衆国の港湾業界では1950年代後半から「コンテナ導入」「荷役の機械化」の動きが拡がっていきました(*3)。コンテナ導入、荷役の機械化はともに「荷役の省人化」をもたらします。将来、港湾労働者数の減少が予想されました。
国際港湾労働者組合は時代の流れを受け、使用者(経営者)側のニューヨーク海事協会(*3)と交渉し、コンテナ導入及び荷役機械化を受け入れる代償として、港湾労働者の所得保障(有効期間3年)の権利を1959年12月に獲得しました(*2)。使用者側のニューヨーク海事協会には、船会社や荷役会社が属していました(*3)。
しかし所得保障の内容を巡り両者の間で乖離があり、話し合いが継続されました(*2)。翌1960年、所得保障内容が決まりました(*2)。結果ニューヨーク港においてはコンテナ1個をフルコンテナ船に積む際、「1トンあたり1ドルの補償金」が国際港湾労働者組合に支払われることになりました(*2)。補償金は「国際港湾労働者組合の基金」になりました(*2)。以降1960年からニューヨーク港は「コンテナを取り扱える港」になったのでした(*2)。
西海岸(太平洋側)の港湾(ロサンゼルス港、ロングビーチ港等)の労働組合としては「国際港湾倉庫労働者組合」(ILWU)がありました(*4)。国際港湾倉庫労働者組合は太平洋沿岸の大半の港湾において独占的権利を持っていました(*5)。太平洋沿岸港湾の経営者側の団体としては「太平洋海事協会」がありました(*5)。
太平洋沿岸港湾の沖仲仕(おきなかし)には「正規」「臨時」の2種類がいました(*5)。正規の沖仲仕は「Aメン」と呼ばれ、国際港湾倉庫労働者組合の組合員でした(*5)。一方、臨時の沖仲仕は「Bメン」と呼ばれました(*5)。Aメン全員の仕事が埋まった後に、Bメンは雇われました(*5)。
沖仲仕の作業班は「ギャング」と呼ばれていました(*3)。Aメン(正規の沖仲仕)はいつも同じメンバーで集められた「ギャング」で働くことが多かったです(*5)。「ギャング」には親方がいました(*5)。親方にはAメンを選び、現場に派遣する役割がありました(*5)。親方も国際港湾倉庫労働者組合の組合員でした(*5)。
現代では世界貿易の9割は海上輸送にて行われており(*1)、アメリカ合衆国は世界一の経済大国です。アメリカ合衆国の港湾が世界貿易に与える影響は非常に大きいといえます。言い換えれば東海岸の「国際港湾労働者組合」、西海岸の「国際港湾倉庫労働者組合」の2つの港湾労働者組合が世界貿易に大きな影響を与えうる存在でもあるといえます。
1960年代までの日本ではヤクザ組織が港湾荷役業に関与していました(*6)。山口組は元々、1915年(大正四年)港湾荷役業の組織として誕生しました(*7)。太平洋戦争後の三代目山口組田岡一雄組長(在任期間:1946~1981年)体制下では(*8)、山口組は神戸港の船内荷役業に特化し、傘下の船内荷役業の会社から資金を吸収していきました(*9)。
太平洋戦争後の神戸港においても港湾労働者の組合がありました。「神戸港湾労働者組合連合会」(略して「神港労連」)は、山口組の影響下にあった港湾労働者組合でした(*10)。神港労連では、2次下請け会社の正規労働者が組合員になっていました(*10)。また神港労連は「日本港湾労働組合連合会」に加盟していました(*10)。
一方、神戸港で山口組と対立した港湾労働者組合が「全日本港湾労働組合」(略して「全港湾労組」)でした(*10)。全港湾労組では、1次下請け会社の正規労働者が組合員になっていました(*10)。全港湾労組は総評系でした(*10)。総評は「日本労働組合総評議会」の略で、社会党を支持していました。
ちなみに田岡一雄が副会長を務めた「全国港湾荷役振興協会」(略して「全港振」。1956年結成、1966年解散)は、港湾荷役会社の為の組織、つまり経営者側の組織でした(*6) (*9)。
<引用・参考文献>
*1 『選択』2021年11月号「米国の「インフレ」が世界に波及」, p62-63
*2 『コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版』(マルク・レビンソン著、村井章子訳、2021年、日経BP), p154-155
*3 『コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版』, p148-149
*4 『週刊エコノミスト』2022年9月27日号「カリフォルニア 不透明感増す港湾の労使交渉」(永田光), p103
*5 『コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版』, p159-160
*6 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p27,351-353
*7 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス),p14-15
*8 『山口組の100年 完全データBOOK』,p18-21
*9 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p88-89
*10 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p258-263
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