2020年時点アメリカ合衆国北東部(特に「州間高速道路95号線」という高速道路の沿線にある都市)の違法薬物市場でコカイン、ホワイトパウダーヘロインの流通を仕切っていたのがドミニカ系アウトロー組織でした(*1)。ドミニカ系アウトロー組織は、カリブ海のドミニカ共和国出身者及びその子孫(ドミニカ共和国国籍またはアメリカ合衆国国籍を持つ者)で主に構成されていました(*1)。ドミニカ系アウトロー組織は複数活動していた一方、個々の組織を統括するような団体は形成されず、また連合体も組まれませんでした(*1)。各組織は個別に活動していました(*1)。
図 アメリカ合衆国北東部の地図(出典:Googleマップ)
北東部の違法薬物市場においてドミニカ系アウトロー組織は主に「卸売り」の機能を担っていました(*1)。
ドミニカ系アウトロー組織は、主にメキシコ及びコロンビアの麻薬組織からコカイン、ホワイトパウダーヘロイン、フェンタニルを仕入れていました(*1)。商品(違法薬物)によって仕入れ先はやや異なりました。コカインは主にコロンビアの組織により供給され、ホワイトパウダーヘロインはメキシコ、コロンビア両方の組織により供給されていました(*1)。ちなみにホワイトパウダーヘロインは「高品質のヘロイン」という位置づけをされていました(*2)。
ドミニカ系アウトロー組織は、他の卸売組織から数キロ単位で違法薬物を仕入れていました (*1)。またドミニカ系アウトロー組織は仕入れ以外にも、密輸の差配(数トン単位)もしていました(*1)。
ドミニカ系アウトロー組織の「輸送手段」は主に小型船舶で、「ルート」は主にドミニカ共和国を経由するものでした(*1)。密輸人はドミニカ共和国で違法薬物を船舶に積んだ後、モナ海峡を通り、プエルトリコ(アメリカ領)まで行きました(*1)。プエルトリコからは郵便、民間船便によって、または船舶の海上輸送によって、違法薬物はアメリカ本土まで運び込まれました(*1)。ドミニカ共和国から南フロリダまで直接密輸した際も、船舶が輸送手段として用いられました(*1)。さらにドミニカ系アウトロー組織は、「ドミニカ共和国発アメリカ合衆国着」のコンテナ船も密輸手段として利用していました(*1)。ドミニカ共和国発からのルートは、多岐にわたっていたことが分かります。
図 ドミニカ共和国、プエルトリコ付近の地図(出典:Googleマップ)
メキシコ、コロンビアの麻薬組織が「ドミニカ共和国経由ルート」でドミニカ系アウトロー組織に違法薬物を供給した場合、自国からドミニカ共和国まで輸送していたと考えられます。つまり「メキシコ→ドミニカ共和国」「コロンビア→ドミニカ共和国」の越境が済めば、メキシコ及びコロンビアの麻薬組織の業務は終了したと考えられます。メキシコ及びコロンビアの麻薬組織にとって、ドミニカ系アウトロー組織との取引は、輸送業務の負担軽減につながったと考えられます。
ドミニカ系アウトロー組織は仕入れた違法薬物を、主にストリートギャングに卸していました(*1)。北東部ではストリートギャングが数キロ単位~数グラム単位の違法薬物販売に従事しており、「小売り」の役割を果たしていました(*1)。ストリートギャングが扱う段階(数キロ~数グラムの販売量)から、違法薬物は包装状態で流通していました(*1)。
個々のストリートギャングにとって捌ける量には限界があります。ゆえに一度に大量に供給したいメキシコ及びコロンビアの麻薬組織にとって、各ストリートギャングとの取引は適していないです。一方ストリートギャング側も大量に仕入れても捌きれないので、メキシコ及びコロンビアの麻薬組織との取引は適していません。北東部の違法薬物市場では「元売り側」(メキシコ及びコロンビアの麻薬組織)と「小売り側」(ストリートギャング)に介在する「卸業」の需要が高かったのです。
ドミニカ系アウトロー組織は、個々のストリートギャングに対し、「違法薬物の供給元」になっていたことから、相対的に有利な立場にあったと考えられます。またストリートギャングに卸す前、違法薬物を「希釈化」することで(「混ぜ物」を入れること)、利幅を増やしていました(*1)。
ドミニカ系アウトロー組織が北東部において強い基盤を作れた背景には、同地域におけるドミニカ系人口の多さがありました(*1)。北東部の特に「Interstate 95」という高速道路沿線の都市にはドミニカ系コミュニティが存在していました(*1)。ニューヨーク市(ニューヨーク州)、フィラデルフィア(ペンシルベニア州)、ローレンス(マサチューセッツ州)などがドミニカ系アウトロー組織の主な活動拠点でした(*1)。
ジャーナリストのヨアン・グリロ(Ioan Grillo)氏の書籍『Blood Gun Money: How America Arms Gangs and Cartels』(2021年)によれば、ローレンスのドミニカ系アウトロー組織では、銃器の需要が高かったです(*3)。ドミニカ系アウトロー組織は、「すぐに隠せる」ことから、特に拳銃を好んでいました(*4)。
当時のマサチューセッツ州では、銃器に関する法律が厳しく、銃器の入手は容易ではありませんでした(*3)。マサチューセッツ州内における銃器入手の制限は、ローレンスのドミニカ系アウトロー組織において銃器の需要が高くなった一因だったと考えられます。他方、ローレンスのドミニカ系アウトロー組織は、違法薬物を大量に持っていました(*3)。
その状況下において、メイン州(アメリカ合衆国北東部)生まれのビリージャック・カーティス(Billyjack Curtis)(*5)が、ローレンスのドミニカ系アウトロー組織に銃器を供給しました。
メイン州の北東にはカナダのニューブランズウィック州、北西にはカナダのケベック州があり、西にはニューハンプシャー州(アメリカ合衆国)がありました。ニューハンプシャー州の南に、ローレンスのマサチューセッツ州がありました。
当時メイン州の田舎町では、マサチューセッツ州に比し、銃器の入手が容易でした(*3)。またメイン州の田舎町では、1990年代他地域に先駆けてオピオイド系鎮痛剤が流行する等、違法薬物の需要が高かったです(*3)。医師の処方箋があれば、オピオイド系鎮痛剤は購入可能な為、オピオイド系鎮痛剤自体は違法薬物ではありません(*6)。しかしオピオイド系鎮痛剤には少量の麻薬成分が含まれており、常習性が高いです (*6)。オピオイド系鎮痛剤の依存症は問題視されています(*6)。
つまりマサチューセッツ州ローレンスの裏社会では、銃器の需要が高く、違法薬物が余っていました。一方メイン州田舎町の裏社会では、銃器の入手が容易で、違法薬物の需要が高かったです。
ビリージャック・カーティスは、両地域における「需要の違い」に目をつけて、メイン州田舎町では違法薬物(コカイン等)の提供で依存症者から銃器を入手し、その銃器をローレンスのドミニカ系アウトロー組織に転売しました(*4)。ローレンスのドミニカ系アウトロー組織は代金として、ビリージャック・カーティスに違法薬物(コカイン等)を提供しました(*4)。
ビリージャック・カーティスは、「違法薬物」で銃器を仕入れ、銃器販売の代金を「違法薬物」で受け取っていました。「メイン州田舎町の依存症者」、「ビリージャック・カーティス」、「ローレンスのドミニカ系アウトロー組織」の3者間の取引においては、「違法薬物」が決済手段となっていたのです。また現金を介在させない「物々交換」が行われていたことが分かります。
またビリージャック・カーティスは、メイン州最大の都市ポートランドでも同様の取引を始めました(*4)。ビリージャック・カーティスはポートランドにおいてはヘロインを提供し、ヘッケラー&コッホ社のMP5という短機関銃を仕入れていました(*4)。
<引用・参考文献>
*1 アメリカ合衆国麻薬取締局サイト内「2020全米麻薬脅威評価(National Drug Threat Assessment)」(2021), p73-74
*2 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p172
*3 『Blood Gun Money: How America Arms Gangs and Cartels』(Ioan Grillo,2021,Bloomsbury Publishing Plc),p84
*4『Blood Gun Money: How America Arms Gangs and Cartels』,p85
*5『Blood Gun Money: How America Arms Gangs and Cartels』,p83
*6『週刊エコノミスト』2017年9月5日号「死亡者や依存症相次ぐオピオイド 米国の貧困層や子供の被害が拡大」(土方細秩子著), p86-87
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