メキシコ麻薬カルテルの1つである「ガルフ・カルテル」(Gulf Cartel)の始祖として位置づけられるのがフアン・ネポムセノ・ゲラ・カルデナス(Juan Nepomuceno Guerra Cárdenas)です(*1)。ガルフ・カルテルはタマウリパス州(メキシコ北東部)を本拠地としてきました(*1)。
図 メキシコのタマウリパス州の地図(出典:Googleマップ)
1930年代、当時14歳だったフアン・ゲラは、2人の兄弟(アルトゥーロ、ロベルト)と一緒に密輸ビジネスを始めました(*1)。フアン・ゲラらの密輸ビジネスは、北の隣国・アメリカ合衆国にウイスキーやテキーラを密輸し、復路でアメリカ合衆国の商品(メキシコの闇市場で高価格で売れる物)をメキシコに運ぶというものでした(*1)。当時アメリカ合衆国は禁酒法(1920~1933年)下の時代でした(*2)。酒類のウイスキーやテキーラは当時のアメリカ合衆国においては「禁制品」だったのです。禁酒法の成立は1919年で、翌1920から1933年まで禁酒法は施行されていました(*2)。
禁酒法時代(1920~1933年)のアメリカ合衆国では、医師の処方により酒(「薬用酒類」という位置づけ)の入手は可能でした(*3)。飲酒への「抜け道」はいくつかあったのです。禁酒法の「法力範囲」は原則アメリカ合衆国に限られたと考えられます。ゆえに国外に行って飲酒するという「抜け道」もありました(*3)。具体的にはクルーズ船で「沖の国際水域」まで行って飲酒、「カナダ」に行っての飲酒等がありました(*3)。またニューヨーク市では闇営業の酒場が流行りました(*3)。禁酒法時代に密造酒が流通しました(*4)。粗悪な密造酒も多く、摂取者の健康に害を及ぼす場合もありました(*4)。ちなみにロシアも1914~1924年の間、禁酒令を敷いていました(*5)。
後にフアン・ゲラらの密輸グループは、不法移民の越境支援、密輸煙草や盗難車の取引、賭博、売春等にも取り組むようになり、違法領域のビジネスを多角化させていったと考えられます(*1)。フアン・ゲラは違法領域のビジネスを円滑化させる為、「賄賂」を用いました(*1)。贈賄対象は地方政治家や官僚でした(*1)。
加えてフアン・ゲラは労働組合トップらとも関係を構築しました(*1)。特に「メキシコ労働組合連盟」(Confederación de Trabajadores Mexicanos)のリーダーだったアガピト・エルナンデス・カバソス(Agapito Hernández Cavazos)らとフアン・ゲラは親しくなりました(*1)。メキシコ労働組合連盟は傘下に運送労働者の組合を抱えていました(*1)。密輸ビジネスを手掛けるフアン・ゲラにとって、運送労働者の組合は「利用価値」がありました(*1)。フアン・ゲラはビジネスの為に、メキシコ労働組合連盟のリーダーらと親交を結んだのでした。
1970年代前半からフアン・ゲラの組織は、フアン・ゲラの甥であるフアン・ガルシア・アブレゴ(Juan García Ábrego)の勧めもあり、マリファナやヘロインの密輸ビジネスを拡張していきました(*1)。1987年時にはガルシア・アブレゴはコロンビア産コカインの密輸ビジネス参入を検討しました(*1)。結果、フアン・ゲラの組織は参入を決め、コロンビアの麻薬組織(主にメデジン・カルテル)から、アメリカ合衆国にコカインを密輸する業務を受託しました(*1)。
メキシコでは1977年後半から太平洋沿岸シナロア州の麻薬組織が、コロンビア産コカインの「密輸代行業」を始め、大きな収益を上げていました(*6)。1980~1981年、シナロア州の麻薬組織等が「グアダラハラ・カルテル」(Guadalajara Cartel)を結成しました(*7) (*8)。グアダラハラ・カルテルもコロンビア産コカインの密輸代行業をしていました(*7)。しかしグアダラハラ・カルテルは、1985年以降メキシコ軍及び警察組織から厳しい取締りを受け、1989年に解散しました(*7)。コロンビアの麻薬組織は1980年代後半から「グアダラハラ・カルテルの代わり」となる組織を他地域で探し始めていったと考えられます。ガルシア・アブレゴはその流れの中で、コカインビジネス参入を検討していったのでしょう。
ガルシア・アブレゴの主導したコカイン密輸ビジネスは1990年代前半、組織に大きな収益をもたらしました(*1)。フアン・ゲラは、実績者であり甥のガルシア・アブレゴを次期後継者とし、組織運営の権限をガルシア・アブレゴに委譲していきました (*1)。この時期に組織は「ガルフ・カルテル」と呼ばれるようになりました(*1)。ガルフ・カルテルはスペイン語では「Cártel del Golfo」と表記されました(*1)。
当時ガルフ・カルテルの勢力圏は、タマウリパス州に加えて、ヌエボ・レオン州(タマウリパス州の西)、ベラクルス州(タマウリパス州の南東)にも及んでいました(*1)。
1996年1月14日ヌエボ・レオン州にてメキシコの連邦捜査官がガルシア・アブレゴを逮捕しました (*1)。ガルシア・アブレゴは前々から「アメリカ合衆国生まれ」を主張しており、メキシコ政府はその主張を活かしガルシア・アブレゴをアメリカ合衆国に「送還」しました(*1)。ガルシア・アブレゴの後継者はウゴ・バルドメロ・メディナ・ガルサ(Hugo Baldomero Medina Garza)になる予定でしたが、1997年4月17日ウゴ・バルドメロ・メディナ・ガルサは誤って誘拐された際、顔を銃撃され、重傷を負いました(*1)。以降、ガルフ・カルテル内で抗争が起きました(*1)。
1999年6月当時32歳のオシエル・カルデナス・ギジェン(Osiel Cárdenas Guillén)は、先輩格のアンヘル・サルバドール・“エル・チャバ”・ゴメス・エレーラ(Ángel Salvador “El Chava” Gómez Herrera)を殺害したことで、ガルフ・カルテルトップの地位を手中に収めました(*1)。以降カルデナスの時代が始まりました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p140-141
*2 『はじめてのアメリカ音楽史』(ジェームス・M・バーダマン・里中哲彦、2018年、ちくま新書), p154
*3 『「食」の図書館 ウイスキーの歴史』(ケビン・R・コザー著、神長倉伸義訳、2015年、原書房),p137-140
*4 『「食」の図書館 ウイスキーの歴史』,p143
*5 『ユーラシア・ブックレットNo.89 いまどきロシアウォッカ事情』(遠藤洋子、2006年、東洋書店),p12
*6 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p137
*7 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p138-139
*8 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p36
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