バルカン半島南西部に位置するアルバニアでは1991年以降、出国者が増加しました(*1)。1990年5月までアルバニア国民はパスポート(旅券)を持てませんでした(*1)。出国は「国家反逆行為」と見なされていたからです(*1)。1990年7月刑法が改正され、出国自体に対する罰則はなくなりました(*1)。当時アルバニアの共産主義政権が凋落していたことも背景にありました(*1)。
図 アルバニアの地図(出典:Googleマップ)
1990年7月ティラナ(アルバニアの首都)にあるイタリアとドイツ大使館に約400人のアルバニア人が出国目的で押し掛けました(*1)。出国者が相次いだ結果、アドリア海を挟んで対岸に位置するイタリア政府は1991年前半「アルバニア難民」の受け入れを拒否しました(*1)。しかし多くのアルバニア人は密輸業者に金を払い、イタリアに密入国しました(*1)。具体的にはアルバニア系密輸業者は出国希望者の為に偽造のパスポートや旅行書類を調達しました(*2)。1991年以降のイタリア政府の受け入れ制限は、アルバニア系密輸業者にとって収益拡大の要因となりました(*2)。
イタリア南部のプッリャ州にも多くのアルバニア人が移住してきました。プッリャ(Puglia)州はアドリア海に面しており、ブーツにたとえられるイタリア半島の「かかと」の部分になります。1990年代プッリャ州のブリンディジ(Brindisi)、レッチェ(Lecce)、ターラント(Taranto)の港湾都市に多くのアドリア人が移住してきました(*1)。
アルバニア系アウトロー組織もプッリャ州の州都バーリ(Bari)にて、煙草等をイタリアに密輸するビジネスを図りました(*1)。しかしプッリャ州はイタリア系アウトロー組織「サクラ・コロナ・ウニタ」(Sacra Corona Unita)の牙城でした(*1)。結果サクラ・コロナ・ウニタはアルバニア系組織を脇に追いやりました(*1)。
カンパニア(Campania)州の大都市ナポリは、イタリア系アウトロー組織「カモッラ」(Camorra)の本拠地でした(*1)。ナポリで裏稼業する外国系アウトロー組織は「上納金」をカモッラに納めなければなりませんでした(*1)。1990年代前半からナポリにおいてアルバニア系組織は売春と人身売買を主要稼業としており、カモッラに上納金を納めてきました(*1)。後にアルバニア系組織は新たな収益源を確保すべく、イタリア系組織の影響が小さい西ヨーロッパでも活動し始めました(*1)。
一方、フィレンチェ(トスカーナ州)ではアルバニア系組織がナイジェリア系組織から違法薬物市場の利権を奪取したといわれています(*1)。
イタリアでは全般的にアルバニア系組織はイタリア系アウトロー組織に「従順」傾向にありました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『Decoding Albanian Organized Crime Culture,Politics,and Globalization』(Jana Arsovska,2015, University of California Press), p96-98
*2 『Decoding Albanian Organized Crime Culture,Politics,and Globalization』, p94
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