1980年代のスコーピオ

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 イングランド南西部にあるコーンウォール(Cornwall)地方のセント・オーステル(St Austell)という街には昔「スコーピオ」(Scorpio)という名のバイカーギャングが拠点を置いていました(*1)。セント・オーステルは観光地です(*1)。1980年代スコーピオはイギリス国内において違法薬物ビジネスを展開していきました(*1)。

 まずスコーピオは地元のイングランド南西部(特にプリマスという都市)において、暴力行使で他の供給業者を追い出し、大麻、アンフェタミン(覚醒剤)、LSDの市場を独占するに至りました (*1)。イングランド南西部における違法薬物市場の独占によってスコーピオは100万ポンド以上の収益を上げました(*1)。大麻はイギリスにおいて1950年代からジャズ・クラブなどから流通していきました(*2)。LSDは1965年頃からイギリスで流通し、1966年には違法薬物になりました(*2)。

 スコーピオの暴力は客に対しても向かいました。スコーピオは支払いの悪い客、他地域の供給業者から購入しようとする客に対しても、躊躇なく暴力を行使しました(*1)。

 その後スコーピオは外国で違法薬物を自ら仕入れるようになりました(*1)。

 スコーピオにおいて違法薬物ビジネスを取り仕切っていたのはトップのマーク・‘スヌーピー’・ダイス(Mark‘Snoopy’Dyce)とナンバー2のゲイリー・ミルズ(Gary Mills)でした(*1)。違法薬物ビジネスにおいてスコーピオは「組織の外部者」も利用していました。まず「仕入れ」はスコーピオの関係者(associates)の仕事でした(*1)。スコーピオの関係者はオランダのアムステルダムに行き、粉状のアンフェタミン、大麻樹脂を大量に購入しました(*1)。仕入れ先(アムステルダム)への支払いには、旅行会社トーマス・クック(Thomas Cook)からの為替(money orders)が用いられました(*1)。

 アムステルダムからイギリスに密輸する段階においては、スコーピオの密輸チームは改造フォード車のコンパートメント内にアンフェタミン及び大麻樹脂を隠し、税関を通り抜けました(*1)。EU域内の国境検問(出入国審査)を廃止する「シェンゲン協定」は1995年以降に実行されていったので (*3)、当時(1980年代)のイギリス-オランダ間において税関等は存在していました。

 イギリス到着後の違法薬物は東ロンドンのレイナム(Rainham)の隠れ家で小分けされ、「小分けされた違法薬物」は茶色の紙に梱包されました(*1)。次にスコーピオはイギリス鉄道の「レッドスター・サービス(British Rail’s Red Star service)」という小包輸送サービス(宅配便)を利用して、国内各地に違法薬物を送りました(*1)。茶色の紙には「motorcycle parts」という文字が記載されました(*1)。motorcycle partsは日本語に訳すと「オートバイ部品」という意味になります。つまりスコーピオは「オートバイ部品」と偽って、イギリス鉄道の小包輸送サービスを利用していたのでしょう。加えてスコーピオは信頼できる者を「運び屋」(courier)にする形でも各地に違法薬物を送っていました(*4)。スコーピオは複数の配送手段を駆使していたことが分かります。

 物流業界には配送センターという施設があり、配送センターは小口配送(小売店舗向け)の為に「保管」「混載」「積替」「仕分け」機能を担っています(*5)。スコーピオの違法薬物ビジネスにとって、レイナムの隠れ家は「配送センター」の役割を果たしていたと考えられます。

 スコーピオは小分け及び発送準備作業においても「組織の外部者」を多く使っていました(*1)。逆にいえばスコーピオの違法薬物ビジネスは、スコーピオの構成員だけでは回せない規模、つまり「大規模」であったことが推測されます。またコーンウォールを地元とするスコーピオが首都ロンドンに「配送センター」を設け、国内各地に違法薬物を送っていたことから、スコーピオの密売エリアは拡大していったことが分かります。

 後にスコーピオはアンフェタミン市場を独占し、大麻樹脂に関しては北アフリカから直接仕入れ、また南米から直接コカインを仕入れる為にコロンビア麻薬組織の代表者と連絡をとる等、違法薬物ビジネスを拡張させていきました(*4)。大麻樹脂を北アフリカから直接仕入れたことに関しては、アムステルダムの業者から仕入れていた時に比し、仕入れ代は安くなったと考えられます。またLSDに関してもスコーピオは引き続き取り扱っていました(*4)。

 バイカーギャング業界の方針の下、スコーピオンはヘロインの売買だけには進出しませんでした(*4)。昔から多くのバイカーギャングは構成員に対し「ヘロインの使用(摂取)」を禁じていました(*6)。あるバイカーギャングが密売目的だけでヘロインを扱ったとしても、構成員の中には秘密裏にヘロインに手を出してしまう者もいるかもしれません。ゆえにバイカーギャングとしては構成員を守る意味で、違法薬物ビジネス上でも「ヘロイン除外」が賢明なのかもしれません。

 バイカーギャング業界ではヘロイン使用だけが禁じられていたのではありません。厳密に言えば「摂取時に注射器を用いる違法薬物の使用」が禁じられていたので、「覚醒剤の使用」もバイカーギャング業界では禁じられていました(*6)。しかし先述したようにスコーピオはアンフェタミン(覚醒剤)の市場を牛耳っていました。つまりスコーピオはヘロインに関しては「業界の方針」に従い、覚醒剤に関しては「業界の方針」に背いていたことが分かります。ヘロインの売買に手を出さなかった背景には、別の力が働いていたのではないでしょうか。

 MDMA(通称「エクスタシー」)に関しては、文献(『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』)に記載がなかったことから、他の違法薬物に比しスコーピオンはあまり取り扱っていなかったと推測されます。イギリスにおいてMDMAは1977年に違法薬物となりましたが、1982~1986年の間はソーホー(ロンドン)において一部の人達により使用されていた程度でした(*7)。

 またスコーピオはイングランド中部にあるウォリックシャー州(Warwickshire)のバイカーギャング「ペイガンズ」(Pagans)と親交を結んでいました(*1)。ウォリックシャー州のペイガンズは、アメリカ合衆国東海岸を拠点に活動する同名のバイカーギャングとは別の組織でした。

 後に警察組織は「エメッシュ作戦」(Operation Enmesh)の下、スコーピオを摘発しました(*4)。エメッシュ作戦で警察組織はイングランド南西部で36人、ロンドンで14人、マンチェスターで2人、ハンバーサイドで1人を逮捕しました(*4)。また大量の現金、武器、違法薬物が押収されました(*4)。スコーピオは違法薬物を巧妙に隠していた為、警察組織はスコーピオの違法薬物全てを押収することはできませんでした(*4)。

<引用・参考文献>

*1 『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』(Tony Thompson,2012,Hodder Paperback), p69-72

*2 『イギリス1960年代 ビートルズからサッチャーへ』(小関隆、2021年、中公新書),p156-157

*3 『国際情勢の見えない動きが見える本 新聞・テレビではわからない「世界の意外な事実」を読む』(田中宇、2001年、PHP文庫),p67

*4 『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』, p73-76

*5 『基本ロジスティクス用語辞典 〔第3版〕』「配送センター」(徳田雅人、2009年、白桃書房),p146-147

*6 『OUTLAWS  THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』(Adam Shand,2013,Allen & Unwin), p123

*7 『レイヴ・カルチャー - エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語』(マシュー・コリン著、坂本麻里子訳、2021年、Pヴァイン), p63-64

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