1930年代ミシガン州(アメリカ合衆国中西部)の都市デトロイトでは、個々のストリートギャングが集結し、統一団体を結成しました(*1)。統一団体は「コンビネーション」(Combination:連合)、または「パートナーシップ」(Partnership:共同)と呼ばれました(*1)。統一団体の初代トップにはビル・トッコ(Bill Tocco)が就きました(*1)。統一団体は後に「デトロイト・マフィア」(Detroit Mafia)と呼ばれました(*1)。「マフィア」という語が用いられていたことから、統一団体はイタリア系の色合いが濃かったと考えられます。
1931年夏シカゴ(イリノイ州)でイタリア系アウトロー組織の全米会合が開催されました(*1)。会合ではかのチャールズ・“ラッキー”・ルチアーノ(Charles“Lucky”Lucciano)が全米規模での組織統合を図りました(*1)。要するにチャールズ・ルチアーノの考えに従う形で、ビル・トッコらはデトロイトで統一団体を結成したのでした(*1)。
ビル・トッコは元々イーストサイド・ギャング(East Side Gang)の指導者でした(*1)。統一団体のナンバー2にはジョー・ゼリリ(Joe Zerilli)、ナンバー3にはアンジェロ・メリ(Angelo Meli)が就きました(*1)。ナンバー2は「アンダーボス」(underboss)と呼ばれます(*1)。アンダーボスは「副長」を現す言葉です(*2)。
ジョー・ゼリリはビル・トッコの義兄弟で、アンジェロ・メリはビル・トッコの相談役であり、また両名ともイーストサイド・ギャングの出身でした(*1)。
「コンビネーション」初代トップのビル・トッコは脱税により逮捕され、1936年後半に収監されました(*3)。ビル・トッコの後継指名により、義兄弟のジョー・ゼリリ(当時39歳)が後を継ぎました(*3)。
アメリカ・マフィア業界内でジョー・ゼリリの評判はよく、アメリカ・マフィアの全米最高統治評議会である「コミッション」(Commission)の参加権がジョー・ゼリリに与えられました(*3)。当時ニューヨーク市以外のエリアからは数人の有力者だけがコミッションに参加できた時代でした(*3)。
ジョー・ゼリリは死去する1977年まで「コンビネーション」のトップとしてデトロイトの裏社会を仕切りました(*3)。ジョー・ゼリリの体制時(1936~1977年)、「コンビネーション」はデトロイトの労働組合と「関係」を構築、また違法薬物の流通を掌握しました(*3)。加えて「コンビネーション」はアフリカ系コミュニティの利権(特に「ナンバーズ」という違法賭博)も握り、ラスベガス(ネバダ州)の賭博産業にも進出しました(*3)。ネバダ州は1931年に賭博を合法化しました(*4)。1931年ネバダ州の合法化は「既存の違法賭博」を合法領域に取り込むという意味合いでした(*4)。
1960年代後半からジョー・ゼリリはトップの座にいるものの、フロリダ州に引っ越し、引退生活に入りました(*5)。デトロイトを離れるにあたり、ジョー・ゼリリは組織運営者に実子アンソニー・“トニーZ”・ゼリリ(Anthony“Tony Z”Zerilli)を据えました(*5)。いわば実子が「後継指名」された形です。しかし後にアンソニー・ゼリリはラスベガスにあるフロンティアホテル&カジノから600万ドルを盗んだ容疑で逮捕されました(*5)。裁判の結果、裁判所はアンソニー・ゼリリに対し有罪判決を言い渡しました(*5)。
アンソニー・ゼリリの服役決定により、ジョー・ゼリリは後継者の変更を余儀なくされました(*5)。新たな後継者候補となったのが、ジャコモ・ “ブラック ジャック”・トッコ(Giacomo “Black Jack” Tocco)でした(*5)。ジャック・トッコはビル・トッコの息子であり、ジョー・ゼリリの甥にあたる人物でした(*5)。
1977年4月ジョー・ゼリリは心不全で死去しました(*5)。その後ジョバンニ・“パパ ジョン”・プリツィオラ(Giovanni “Papa John” Priziola)が名目上のトップに就きました(*5)。ジョバンニ・プリツィオラは長年、組織の「コンシリエーレ」(consiglieri)であり、また西海岸における資金獲得活動の責任者でもありました(*5)。コンシリエーレは「相談役」を現す言葉です(*2)。1979年4月ジョバンニ・プリツィオラは死去しました(*5)。
同年6月「コンビネーション」次期トップにジャック・トッコが就きました(*5)。ジャック・トッコはアンソニー・ゼリリをアンダーボス(副長)に任命しました(*5)。ちなみにアンソニー・ゼリリは地元で合法の会社(地元の飲食店等)をいくつか持っていました(*6)。
ジャック・トッコ体制の「コンビネーション」はデトロイトにおいて違法薬物ビジネスから撤退しました(*7)。撤退理由としては、捜査機関からの監視を弱めることがありました(*7)。以降、デトロイトでは他グループが違法薬物ビジネスを担っていきました(*7) 。
ミルトン ・“ブッチ”・ジョーンズ(Milton “Butch” Jones)、リチャード・“マセラッティ リック”・カーター(Richard “Maseratti Rick” Carter)、リチャード・“ホワイトボーイ リック”・ワーシェ(Richard “White Boy Rick” Wershe)らのグループがデロイトの違法薬物市場に参入してきました(*7)。参入グループ間の協調は乏しく、武力抗争もありました(*7)。
一方「コンビネーション」は違法薬物ビジネスを手掛けず、賭博、高利貸し、恐喝を主な資金獲得源としていました(*7)。
日本の場合、ヤクザ組織が長年覚醒剤(日本における代表的な違法薬物)の流通を仕切ってきました(*8)。アウトロー組織の怒羅権(ドラゴン)初代の佐々木秀夫によれば、2011年時点で怒羅権は日本国内において覚醒剤の元売りをしていました(*9)。怒羅権はヤクザ組織ではなく「半グレグループ」と呼ばれています(*10) 。怒羅権は中国大陸から数百キロ単位で覚醒剤を仕入れ、他組織に卸していました(*9)。怒羅権がヤクザ組織の利権に浸食していたのです。推測の域を出ないですが、怒羅権が「元売り専業」という形で、覚醒剤剤に関しては卸売以下の流通には基本的に進出していなかった可能性もあります。
デトロイトの場合、「コンビネーション」と「違法薬物ビジネスグループ」との関係はどうなっていたのでしょうか。2パターンが考えられます。1つは没交渉状態(無関係)です。没交渉の場合、力関係において両者は対等(「コンビネーション」=「違法薬物ビジネスグループ」)だった可能性があります。
もう1つは緩やかな上下関係です(「コンビネーション」が上)。具体的には「違法薬物ビジネスグループ」が「コンビネーション」に金を納めていた可能性です。上納金の名目としては、「コンビネーション」縄張り内で商売をしたということでの「場所代」などが考えられます。見方によっては「コンビネーション」が違法薬物ビジネスを「外部委託」していったように見えます。この場合「コンビネーション」は違法薬物ビジネスに直接関与しないものの、場所代徴収により、違法薬物ビジネスの一部収益を受け取ります。
もし後者の関係であれば、ジャック・トッコ体制の「コンビネーション」は高リスクの違法薬物ビジネスを「外部委託」する一方、低リスクの賭博、高利貸し、恐喝に「特化」する戦略をとっていたことが考えられます。この戦略上「コンビネーション」は少数精鋭型の組織を志向します。結果、組織人数は減少していくでしょう。
1990年代前半「コンビネーション」は組織規模を縮小させるものの、デトロイト裏社会において強い影響力を持ち続けていました(*7)。しかし1996年大規模な取締りにより、「コンビネーション」トップのジャック・トッコ、ナンバー2のアンソニー・ゼリリは逮捕され、後に有罪判決を受け、収監されました(*7)。ジャック・トッコは2002年に釈放されました(*11)。
2000年代「コンビネーション」は25人程度の構成員、75~100人の関係者(associates)を擁していました(11)。1970年代に比し、「コンビネーション」の組織人数は1/3に減少したといわれています(11)。つまり1970年代「コンビネーション」は構成員であれば75人程度、関係者であれば225~300人を抱えていたと考えられます。実際「コンビネーション」は組織人数を縮小させていったのです。
<引用・参考文献>
*1 『Motor City Mafia: A Century of Organized Crime in Detroit (Images of America)』(Scott M. Burnstein,2006, Arcadia Publishing), p33-34
*2 『FOR BEGINNERS シリーズ マフィア』(安田雅企、1994年、現代書館), p161
*3 『Motor City Mafia: A Century of Organized Crime in Detroit (Images of America)』, p43
*4 『Gambling Cultures Studies in history and interpretation』「THE ROLE OF THE STATE IN THE EXPANSION AND GROWTH OF COMMERCIAL GAMBLING IN THE UNITED STATES」(Vicki Abt,2014,Routledge),p193
*5 『Motor City Mafia: A Century of Organized Crime in Detroit (Images of America)』, p73-74
*6 『Motor City Mafia: A Century of Organized Crime in Detroit (Images of America)』, p79
*7 『Motor City Mafia: A Century of Organized Crime in Detroit (Images of America)』, p109,112-113
*8 『薬物とセックス』(溝口敦、2016年、新潮新書),p130-131
*9 『怒羅権 初代 ヤクザが恐れる最凶マフィアをつくった男』(佐々木秀夫(ジャン・ロンシン)、2022年、宝島社),p207-208
*10 『半グレ 反社会勢力の実像』(NHKスペシャル取材班、2020年、新潮新書),p54
*11『Motor City Mafia: A Century of Organized Crime in Detroit (Images of America)』, p119
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