ヌエストラ・ファミリア・メヒカーナの誕生

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 「ヌエストラ・ファミリア・メヒカーナ」(Nuestra Familia Mejicana:以下「ヌエストラ・ファミリア」と略します)は1965年、ソレダド刑務所(カリフォルニア州)で結成されました(*1)。ヌエストラ・ファミリアは刑務所ギャングでした(*2)。刑務所ギャング「ラ・エメ」(La Eme)からの脱退勢力がヌエストラ・ファミリアを立ち上げました(*3)。

 実際1960年代半ばまでカリフォルニア州内の刑務所ではラ・エメが力を握っていました(*4)。ラ・エメは1957~1958年デュエル職業訓練所(カリフォルニア州トレーシー)で結成されました(*5)。ラ・エメは別名「メキシカン・マフィア」(Mexican Mafia)と呼ばれました(*5)。1970年代からラ・エメは刑務所外の領域でも活動していきました(*4)。

 ラ・エメは南カリフォルニアのヒスパニック系ストリートギャング業界において影響力を持っていました(*2)。南カリフォルニアのヒスパニック系ストリートギャングは、服役中の構成員を「ラ・エメの保護下」に置いてもらう為、ラ・エメに上納金を払っていました(*6)。逆に、上納金を払わないヒスパニック系ストリートギャングの服役囚は、ラ・エメの「保護対象外」であり、「攻撃対象」となりました(*6)。

 ラ・エメの支配下にあったヒスパニック系ストリートギャングは、「スレーニョス」(Sureños)と呼ばれました(*2) (*6)。スレーニョスには「エイティーンス・ストリートギャング」(18th Street Gang)、「フロレンシア13」(Florencia 13)、「マラ・サルバトルチャ13」(Mara Salvatrucha 13)、「アベニューズ」(Avenues)等のストリートギャングがいました(*2)。

 スレーニョスの中には、ラ・エメに対する忠誠の証として「13」を組織名に取り入れた組織がありました(*2)。ラ・エメの「eme」はスペイン語で、英語に直すとアルファベット「M」になります(*7)。Mはアルファベットでは「13番目」です。南カリフォルニアにおけるヒスパニック系の裏社会では「刑務所ギャング>ストリートギャング」という力関係が形成されていたのです。

 1968年9月14日サン・クエンティン州立刑務所(カリフォルニア州)内でヌエストラ・ファミリアとラ・エメの間で、抗争が勃発しました(*1)。同月16日サン・クエンティン州立刑務所は閉鎖されました(*1)。以後も両団体の対立関係は続き、1971年停戦協定が一旦結ばれましたが、同年の終わりには破られました(*1)。

 1972年7月11日ラ・エメ側は、ヌエストラ・ファミリアのリーダーであるフアン・バルデス(Juan Valdez)を刺しました(*1)。ラ・エメは白人系刑務所ギャング「アーリアン・ブラザーフッド」(Aryan Brotherhood)と同盟を結んでいました(*4)。

 1972年7月17日チノ市の男性刑務所(カリフォルニア州)で、アーリアン・ブラザーフッドは「ラ・エメの代行」として、ヌエストラ・ファミリアの服役囚1人を殺害しました(*1)。他でもアーリアン・ブラザーフッドはラ・エメ側に立ち、ヌエストラ・ファミリアの服役囚を攻撃していきました(*1)。

 ヌエストラ・ファミリアは対抗する為、「ブラック・ゲリラ・ファミリー」(Black Guerilla Family)と親しくなっていきました (*4)。ブラック・ゲリラ・ファミリーは刑務所ギャングで、アフリカ系アメリカ人の服役囚で構成されていました(*4)。

 一方ヌエストラ・ファミリア側は1972年12月17日チノ市の男性刑務所で、ラ・エメのリーダーであるロドルフォ・“シャイアン”・カデナ(Rodolfo“Cheyenne”Cadena)を刺殺しました(*8)。

 1973年から1970年代半ば、ヌエストラ・ファミリアは、一部地域(チノ市等)を除き南カリフォルニアからの撤退を余儀なくされました(*2)。南カリフォルニアにおいてヌエストラ・ファミリアの勢力圏は縮小したのです。ヌエストラ・ファミリアは、ラ・エメのリーダーを殺害したものの、形勢を自陣有利にするまでには至らなかったと推測されます。

 1970年代中にヌエストラ・ファミリアとラ・エメの間で「地理的な境界線」が設けられました(*2)。境界線はデレーノ市(カリフォルニア州)になりました(*2)。デレーノ市以北にはサンノゼ、サンフランシスコ、オークランド、サクラメント等の都市があります。デレーノ市以南にはロサンゼルス、サンバーナーディーノ、サンディエゴ等の都市があります。

 つまりデレーノ市以北は「ヌエストラ・ファミリアの活動領域、デレーノ市以南は「ラ・エメの活動領域」となったのです(*2)。

 ヌエストラ・ファミリアは、北カリフォルニアのヒスパニック系ストリートギャングを支配下に置いていきました(*9)。ヌエストラ・ファミリア支配下のヒスパニック系ストリートギャングは「ノルテーニョス」(Norteños)と呼ばれました(*9)。

 境界線が設けられたものの、ラ・エメ側のスレーニョスは北カリフォルニアに進出していきました(*2)。一方、ヌエストラ・ファミリア側のノルテーニョスは南カリフォルニアでは目立った活動をしていませんでした(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「Shoe War of 1968」(Gabe Morales,2022)

*2 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「Sureños」(Gabe Morales,2022)

*3  POLICEサイト「Sureños: Understanding Kanpol and Pilli」(Richard Valdemar,2012年3月13日)

https://www.policemag.com/blogs/gangs/blog/15317698/surenos-understanding-kanpol-and-pilli

*4  POLICEサイト「History of the Mexican Mafia Prison Gang」(Richard Valdemar,2007年7月24日)

https://www.policemag.com/blogs/gangs/blog/15318747/history-of-the-mexican-mafia-prison-gang

*5 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「The Formation of the Mexican Mafia」(Gabe Morales,2022)

*6 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「EME Command,Control,and Taxation」(Gabe Morales,2022)

*7  James C. Howell and John P. Moore.(2010). HISTORY OF STREET GANGS IN THE UNITED STATES. National Gang Center Bulletin, No.4, May.pp17

https://www.nationalgangcenter.gov/content/documents/history-of-street-gangs.pdf

*8 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「The Real Santana and JD」(Gabe Morales,2022)

*9  POLICEサイト「Sureño Fight Club」(Richard Valdemar,2012年11月25日)

https://www.policemag.com/blogs/gangs/blog/15317541/sureno-fight-club

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