ニューオーリンズ(ルイジアナ州)は1992年、アメリカ合衆国で初めて「都市部でのカジノ開設」を合法化しました(*1)。その次に同年(1992年)ミズーリ州のセント・ルイスとカンザスシティが、都市部に近いところでの川船カジノを合法化しました(*1)。
1992年より前のアメリカ合衆国ではカジノは「都市部から離れたエリア」に設けられていました(*1)。カジノは主にネバダ州、アトランティックシティ(ニュージャージー州)、鉱山都市、川船(riverboats)、先住民の保留地にありました(*1)。背景には「カジノは都市にとって有害」という考えがあったからです(*1)。
ネバダ州は1931年にカジノを合法化、ニュージャージー州は1976年にカジノを合法化しました(*2)。
1988年サウスダコタ州では、小さな鉱山都市デッドウッドでのカジノ(上限のある賭け金で実施)開設の是非を問う投票が実施されました(*3)。結果「開設賛成派」が勝利しました(*3)。デッドウッドのカジノでは、賭け金の上限を5ドルとし、カジノ内に30以上の賭博用テーブルを設けない等の施策がとられました(*3)。
1990年コロラド州で、ロッキー山脈における3つの鉱山都市でカジノ(少額賭け金のカジノ)を開設するかどうかの投票が行われました(*3)。結果「開設賛成派」が勝利しました(*3)。
1989年アイオワ州は川船カジノを合法化しました(*3)。アイオワ州の川船カジノでは、入場料がとられました(*3)。また賭け金の上限は5ドルとされ、客には一度につき200ドルまでの損失が認められていました(*3)。当時のアイオワ州の川船カジノにおいて、その日200ドル負けた客は、ゲームの参加権を失ったのです。
翌1990年イリノイ州とミシシッピ州が、川船カジノを合法化しました(*3)。1992年ミズーリ州で川船カジノを開設するかどうかの投票が行われ、結果「開設賛成派」が勝利しました(*3)。
先住民(インディアン)の保留地におけるカジノの始まりは、1979年12月フロリダ州セミノール保留地に開設されたビンゴ場(セミノール・ビンゴ)でした(*4)。セミノール部族のトミー・ハワードがセミノール・ビンゴを開設しました(*4)。
インディアンの部族による賭博事業は「インディアン・カジノ」と呼ばれました(*5)。
1988年制定の「インディアン・ゲーミング規制法」(Indian Gaming Regulatory Act)がインディアン・カジノに法的根拠を与えました(*6)。
<引用・参考文献>
*1『Gambling Cultures Studies in history and interpretation』「ETHICAL AND POLICY CONSIDERATIONS IN THE SPREAD OF COMMERCIAL GAMBLING」(William R.Eadington,2014,Routledge), p253
*2『Gambling Cultures Studies in history and interpretation』「THE ROLE OF THE STATE IN THE EXPANSION AND GROWTH OF COMMERCIAL GAMBLING IN THE UNITED STATES」(Vicki Abt,2014,Routledge),p192
*3『Gambling Cultures Studies in history and interpretation』「ETHICAL AND POLICY CONSIDERATIONS IN THE SPREAD OF COMMERCIAL GAMBLING」(William R.Eadington,2014,Routledge), p251-252
*4『インディアンとカジノ ― アメリカの光と影』(野口久美子、2019年、ちくま新書),p136,171
*5 『エリア・スタディーズ149 アメリカ先住民を知るための62章』「インディアン・カジノ 「新しいバッファロー」になりえるのか」(大野あずさ、2016年、明石書店),p156-160
*6 全米インディアン・ゲーミング委員会(National Indian Gaming Commission)のサイト
「Indian Gaming Regulatory Act」
https://www.nigc.gov/images/uploads/Indian%20Gaming%20Regulatory%20Act.pdf
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