上州共和一家と寄居分家

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 1999年「稲川会興和一家上州共和一家」の総長代行・小田信於とテキヤ組織「寄居分家」五代目総長・五代博が、五分兄弟盃を交わしました(*1)。五分兄弟盃は、「対等の兄弟関係」を結ぶ際に、交されます(*2)。稲川会3次団体の総長代行とテキヤ組織トップが「対等の兄弟関係」を結んだことになります。

 1932年以降、群馬県高崎近隣11の博徒組織が集い、「上州共和一家」が結成されました(*3)。1962年上州共和一家は三代目を今井弘にするのと同時に、新団体「北星会」に加わりました(*3)。1964年からの警察庁によるヤクザ組織に対する取締り強化(通称:頂上作戦)を受け、北星会は1965年解散しました(*3)。1969年、旧北星会勢力は「交和会」を結成しました(*3)。1994年交和会は「興和一家」に改称するのと同時に、稲川会(当時トップは三代目稲川裕紘会長)の傘下に入りました(*3)。

 寄居分家は、群馬県前橋市を庭場(縄張り)としていました(*1)。寄居分家のトップは、前橋市の庭主だったのです。庭主は、庭場(縄張り)内における「露店配置の裁量権」を持っていました(*4)。1998年時、前橋市の初市(毎年1月9日開催)において約1,000店の露店が出ました(*5)。寄居分家のトップは、庭主として、1,000店の配置決めをしていました(*5)。

 庭主は露店主から「場所代」を受け取りました(*6)。2012年時の情報では場所代の相場は、関東で1日1万円、関西で1日1万5千円でした(*6)。1998年時前橋市の初市でも場所代が1日1万円とすると、場所代として約1,000万円が寄居分家に入ったことになります。

 寄居分家三代目の飯久保武は「全日本寄居連合会」(1974年結成)の会長に就任しました(*5)。全日本寄居連合会は、北海道、東北、関東、甲信地区で活動する寄居一門(寄居系統のテキヤ組織群、その系統の一人親方群)の勢力が集い、結成されました(*5)。会長を輩出した寄居分家は、寄居一門の中で存在感のある組織だったと考えられます。

 長年所属していたテキヤ組織から独立する際、主に2つの方法がありました。1つが「分家」として独立した場合で、元の組織は分家名乗りした者に「縄張りの一部」を譲渡しました(*7)。もう1つが「一家名乗り」という独立方法でした(*7)。一家名乗りの場合、一般的に元の組織は一家名乗りした者に縄張りを割譲しませんでした(*7)。縄張りを割譲されていたことから、「分家」がテキヤ組織業界において高い位置にいたことが分かります。

 ちなみに相撲業界における独立とは、分家して新しい相撲部屋を立ち上げることでした(*8)。「年寄」(年寄名跡の継承者)だけが、分家をして新しい相撲部屋を立ち上げることができました(*8)。

 年寄名跡(めいせき)とは、代々受け継がれた「年寄名」のことでした(*9)。「年寄株」は、年寄名跡の俗称でした(*9)。

 しかし年寄の中には、部屋を立ち上げない者もいました(*8)。部屋を立ち上げない年寄は「一門衆の年寄衆」と呼ばれました(*8)。また相撲業界の分家は、「直系の分家」と「義理の分家」の2つがありました(*10)。

 直系の分家、例えば「A部屋直系の分家」とは、元A部屋の力士がA部屋の親方から分家の許しをもらい、分家独立した部屋のことを指しました(*10)。一方、義理の分家、例えば「A部屋義理の分家」とは、元々A部屋の力士ではなかった者が、何かしらの理由で、A部屋の分家になることを指しました(*10)。

 先述したように年寄は「分家をして新しい相撲部屋を立ち上げる権利」を持っていました。1970年1月場所において年寄は101人いました(*11)。

 寄居分家の初代は小島房吉でした(*12)。小島房吉は、元々「宇野房吉」という名前でしたが、小島亀吉の娘サクと結婚してから、「小島」姓を名乗っていきました(*12)。小島亀吉は、寄居宗家二代目の小島長次郎の兄弟でした(*12)。寄居分家二代目には飯久保新造が就きました(*12)。飯久保新造は1957年に死去しました(*12)。先述の飯久保武が、1957年に寄居分家三代目を継ぎました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p281-282

*2 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p91

*3 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p38-39

*4 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p85

*5 『ヤクザ大辞典 親分への道』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p155-170

*6 『GEKIDAS 激裏情報@大事典vol.5』(激裏情報、2012年、三才ブックス), p82-83

*7 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』(猪野健治、2015年、筑摩書房),p72-73

*8 『大相撲の社会学 ― 力士のライフコースから相撲部屋の社会構造まで、スポーツ社会学から考察する』(生沼芳弘、2023年、22世紀アート),p210

*9 『大相撲の社会学 ― 力士のライフコースから相撲部屋の社会構造まで、スポーツ社会学から考察する』,p500

*10 『大相撲の社会学 ― 力士のライフコースから相撲部屋の社会構造まで、スポーツ社会学から考察する』,p199

*11 『大相撲の社会学 ― 力士のライフコースから相撲部屋の社会構造まで、スポーツ社会学から考察する』,p436

*12 『実話時代』2016年1月号「にっぽん名俠選 寄居分家初代 小島房吉」(大谷浩二), p98-102

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