アメリカ合衆国のワンパーセンターズ(1%ers)系バイカークラブ「アウトローズ」(Outlaws)は1935年シカゴ(イリノイ州)郊外のマクック(McCook)で結成されました(*1)。この当時アウトローズは「マクック・アウトローズ」と呼ばれていました(*1)。
1950年マクック・アウトローズは拠点をマクックからシカゴに移しました(*1)。同時にマクック・アウトローズは「シカゴ・アウトローズ」に改称しました(*1)。
1958年シカゴ・アウトローズは分裂しました(*2)。旧シカゴ・アウトローズ勢力の一部はレース志向のクラブを作りました(*2)。一方、ジョニー・デイビスらの勢力は再び「シカゴ・アウトローズ」を立ち上げました(*2)。ちなみにアウトローズの公式サイト(ヨーロッパ版)では「1958年の分裂」は記載されていません(*1)。
1964年ミルウォーキー(ウィスコンシン州)やルイビル(ケンタッキー州)のバイカークラブがシカゴ・アウトローズに加わったことで、同年シカゴ・アウトローズは「アウトロー・ネーション」(Outlaw nation)に改称しました(*1)。アウトロー・ネーションは本部(Mother Chapter)をシカゴに置きました(*1)。
翌1965年アウトロー・ネーションは「アメリカン・アウトローズ協会」(American Outlaws Association:AOA)を設立しました(*1) (*3)。
アメリカ合衆国には非ワンパーセンターズ系バイカークラブの団体として「アメリカンモーターサイクル協会」(American Motorcyclist Association:AMA)があり、アウトロー・ネーションはワンパーセンターズ系バイカークラブ業界においてもAMAのような協会を設立すべく、アメリカン・アウトローズ協会を立ち上げたのでした(*3)。
しかしその後アメリカン・アウトローズ協会は、ワンパーセンターズ系バイカークラブ業界の協会ではなく、「アウトローズの統治機構」として機能していきました(*4)。つまりアメリカン・アウトローズ協会は、アウトローズ系組織の「1次団体」としての役割を果たしていったのです。
1960年代後半までにアウトローズ(アメリカン・アウトローズ協会)は「不良集団」の色合いを濃くしていきました(*5)。ワンパーセンターズ系バイカークラブ業界においてアウトローズは五大湖地域で圧倒的な勢力を築いていました(*5)。
1984年アメリカン・アウトローズ協会は本部をシカゴからデトロイト(ミシガン州)に移しました(*2) (*6)。
アウトローズは違法薬物ビジネスを手掛けていました。一時期、アウトローズはアメリカ合衆国におけるメタンフェタミン(覚醒剤の一種)の流通市場の40%以上を支配していたといわれていました(*7)。アウトローズはメタンフェタミンの「密造」から手掛けていた為、他のメタンフェタミンを取り扱う者達に比し、アウトローズのメタンフェタミン事業の利益率は高かったです(*7)。
加えてアウトローズはコカイン、ヘロイン、マリファナも取り扱っていました(*7)。アウトローズは1978年頃、コロンビア人やキューバ人の取引業者からコカインを仕入れていました(*8)。当時(1978年頃)フロリダ州のワンパーセンターズ系バイカークラブ業界においてアウトローズが最も有力な組織でした(*9)。
1978年アウトローズは、アメリカ合衆国のワンパーセンターズ系バイカークラブ「バンディドス」(Bandidos)と同盟を結びました(*9)。この同盟締結以降、アウトローズはバンディドスにコカインを供給し、一方バンディドスはアウトローズにメタンフェタミンを供給しました(*9)。1978年以前のアウトローズの違法薬物ビジネスにおいて、コカインに比べて、メタンフェタミンの取り扱い規模は小さかったと考えられます。1978年以降、アウトローズのメタンフェタミン事業は拡大していったと考えられます。
またアウトローズは合法領域にも限定はされているものの、進出していました(*7)。アウトローズは合法領域ではマッサージ店(massage parlor)、ポルノ書店(pornographic bookstore)等のビジネスを手掛けていました(*7)。
アウトローズは1977年、アメリカ合衆国外で最初の支部をカナダに設けました(*1)。
後にアウトローズはヨーロッパにも進出しました。
アウトローズは1993年、ヨーロッパで最初の支部をフランスに設けました(*1)。2年後の1995年、アウトローズはヨーロッパで2番目の支部をノルウェーに設けました(*1)。
しかし1999年時点のヨーロッパでは、ベルギーにしかアウトローズの支部はありませんでした(*1)。つまり1999年までにフランスの支部、ノルウェーの支部は消滅してしまったのです。
2000年の後半、再びノルウェーにアウトローズの支部が設けられました(*1)。この2000年後半に設立されたノルウェーの支部は、アウトローズにとってスカンディナヴィア諸国(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー)で最初の支部でした(*1)。翌2001年アウトローズは、スカンディナヴィア諸国で2番目の支部をスウェーデンに設けました(*1)。
ちなみに同じアメリカ合衆国のワンパーセンターズ系バイカークラブ「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)は1969年にヨーロッパで最初の支部をイギリスのロンドンに設け、ヨーロッパ進出を果たしました(*10)。
また先述のバンディドスは1989年にフランスのマルセイユのバイカークラブ「クラブ・ド・クリシー」(Club de Clichy)を傘下に収める形で、ヨーロッパ進出を果たしました(*11)。
アウトローズとヘルズ・エンジェルスは、1960年代前半から敵対関係となり、1970年代には両団体の敵対関係が強化されていきました(*12)。
一方、アウトローズとバンディドスは先述したように1978年に同盟を結びました。その後の1980年代においても両団体は友好関係にありました(*12)。両団体の合併も真剣に検討されていました(*12)。
<引用・参考文献>
*1 アウトローズのサイト(ヨーロッパ版)「History」
http://www.outlawsmceurope.com/history.htm
*2 『アウトロー・バイカー伝説』(ビル・オズガービー、2008年、スタジオタッククリエイティブ),p132
*3 『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』(Alex Caine,2010,Vintage Canada), p186
*4 『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』(Tony Thompson,2012,Hodder Paperback), p363
*5 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge),p110-111
*6 『Under and Alone: Infiltrating the World’s Most Violent Motorcycle Gang』(William Queen,2011, Mainstream Publishing),p34
*7 『The Mafia Encyclopedia, Third Edition』(Carl Sifakis,2005,Facts On File),p349-350
*8 『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』, p195
*9 『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』, p17
*10 ヘルズ・エンジェルスのサイト「History」
https://www.hells-angels.com/history
*11 『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』,p197
*12 James F. Quinn and Craig J. Forsyth.(2009).leathers and rolexs: the symbolism and values of the motorcycle club, Deviant Behavior,30(3),pp26-27
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