オーストラリアにおける植民地時代の関税

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 1901年1月1日オーストラリアで6つの植民地が一本化し、オーストラリア連邦を結成しました(*1)。6つの植民地とも、イギリスの植民地でした(*2)。

 1770年4月20日、イギリス海軍の調査船に乗っていたキャプテン・クックが、オーストラリア東海岸を発見しました(*3)。1788年2月7日、イギリス政府はオーストラリア東海岸とタスマニアを正式に領有しました(*3)。

 イギリスはオーストラリアに進出した当初、オーストラリア全土を「ニューサウスウェールズ植民地」と呼んでいました(*2)。1825年タスマニアがニューサウスウェールズから分離し、単独の植民地として活動していくことになりました(*2)。また1851年ビクトリアが、1859年にはクイーンズランドがニューサウスウェールズから分離しました(*2)。

 加えてイギリスは1829年西オーストラリア、1834年南オーストラリアにおいて新しい植民地を作りました(*2)。

 1900年時点のオーストラリアには、クイーンズランド植民地、ニューサウスウェールズ植民地、ビクトリア植民地、タスマニア植民地、南オーストラリア植民地、西オーストラリア植民地、計6つの植民地があったのです(*1) (*2)。

 オーストラリアの植民地において関税は重要な収入源でした(*4)。ビクトリア植民地では、歳入において関税の占める割合は高かったです(*4)。ビクトリア植民地の関税率は15~45%であり、物品ごとに異なっていました(*4)。

 オーストラリアの植民地間の貿易においても、関税は適用されました(*4)。

 6つの植民地の中で、関税率が最も低かったのが、ニューサウスウェールズ植民地でした(*4)。ニューサウスウェールズ植民地の関税率は概ね10%で、カーペット生地や陶磁器などの一部の物品において関税率は15%に設定されていました(*4)。ニューサウスウェールズ植民地は、関税撤廃を訴えていました(*4)。

 イギリスは1826年ペナン、シンガポール、ムラカを「海峡植民地」にして、また自由港(関税が課されない港)としました(*5)。すでにシンガポールは1819年、自由港として開港していました(*6)。

 またイギリスは香港も自由港としていました(*7)。香港は1843~1997年までイギリスの植民地でした(*7)。

 またスペイン植民地のマニラは1834年、自由港として開港しました(*8)。

<引用・参考文献>

*1 『物語 オーストラリアの歴史 イギリス植民地から多民族国家への200年 新版』(竹田いさみ・永野隆行、2023年、中公新書), p6

*2 『物語 オーストラリアの歴史 イギリス植民地から多民族国家への200年 新版』, p3-5

*3 『物語 オーストラリアの歴史 イギリス植民地から多民族国家への200年 新版』, p9

*4 『物語 オーストラリアの歴史 イギリス植民地から多民族国家への200年 新版』, p75-76

*5 『海の東南アジア史 - 港市・女性・外来者』(弘末雅士、2022年、ちくま新書),p112,136

*6 『海の東南アジア史 - 港市・女性・外来者』,p133

*7 『アヘンと香港 1845-1943』(古泉達矢、2016年、東京大学出版会), p2,24

*8 『海の東南アジア史 - 港市・女性・外来者』,p111

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