ドキュメンタリー映画プロデューサー兼ライターのドミニク・ストリートフィールド(Dominic Streatfeild)によれば、違法薬物のクラック(crack)が最初に流行したのはカリブ海のバハマでした(*1)。クラックは吸煙用のコカイン系薬物です(*2)。
図 バハマの地図(出典:Googleマップ)
バハマは1973年イギリスから独立しました(*3) (*4)。バハマは700もの島々で構成される群島で、また群島の範囲は広いです(*5)。このバハマの地理は、密輸の発見を難しくさせています(*5)。
クラックとは「コカイン塩酸塩に水と重曹を加えて加熱して、その後に生じる油状のコカイン遊離塩基が冷えて固まったもの」を指します(*2)。
一方、違法薬物のコカイン(cocaine)とは、先述したコカイン塩酸塩の結晶のことです(*2)。コカイは主に経鼻吸引で摂取されます(*2)。
コカイン塩酸塩は熱に弱く、燃やされると役に立ちませんでした (*1) (*6)。つまりコカイン塩酸塩は、吸煙による摂取が困難だったのです。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校のロン・シーゲル(Ron Siegel)教授によれば、1970年代前半の南米のペルーでは、コカイン系薬物が吸煙されていました(*6)。ペルーではこの吸煙用コカイン系薬物は「バセ」(basé)と呼ばれていました(*6)。スペイン語baséを英語に直すとbase(ベース)になります。
バセの実態は、コカイン硫酸塩(cocaine sulphate)などのコカイン化合物で構成される「粗製混合物」でした(*6)。
1970年代のアメリカ合衆国において、コカイン塩酸塩を「吸煙できる物質」に変換する方法が密かに開発されました(*6)。それは、コカイン塩酸塩(つまりコカイン)に強力なアルカリを加え、次にそれを強力なエーテル系溶剤で溶かした後に、結晶化させるという方法でした(*6)。その変換処理は「フリーイング・ザ・ベース」(freeing the base)もしくは「フリーベイシング」(freebasing)と呼ばれました(*6)。化学的には「塩(えん)」を「塩基(えんき)」に変換させるというものでした(*6)。つまり「吸煙できる物質」とは、コカイン塩基のことだったのです。フリーイング・ザ・ベースによって生まれたものは「フリーベース」(freebase)と呼ばれました(*6)。
フリーイング・ザ・ベースは、大量の良質コカインを原料としました(*6)。一方、ペルーのバセは、先述したように、コカイン化合物で構成された粗製混合物でした。フリーベースとバセは、吸煙用コカイン系薬物という面では同じでしたが、品質面では異なっていました。
1970年代後半からバハマで重曹フリーベース(baking-soda freebase)が流行しました(*7)。重曹フリーベースでは、重曹が製造時のアルカリとして用いられていました (*7)。この1970年代後半のバハマにおける重曹フリーベースの流行を、先述したようにドミニク・ストリートフィールドは「クラックの最初の流行」と見ていたのです。重曹フリーベースの別名は「ロック」(rock)でした(*7)。
当時(1970年代後半)のバハマでは大量のコカインが流通していました(*7) (*8)。バハマに大量のコカインが流通した一因としては、当時のバハマが「コカインの積み替え地」になっていたことが考えられます(*8)。元々バハマは1973年の独立以降、「南米産マリファナ(乾燥大麻)の積み替え地」になってしまっていました(*9)。結果バハマでは大量のマリファナが流通しました(*9)。「バハマ」と「アメリカ合衆国のフロリダ半島」は海を挟むように位置しており、バハマとフロリダ州の大都市マイアミの距離は近いです。マリファナ、コカインの密輸(アメリカ合衆国行き)においてバハマは要衝の一つになっており、その結果バハマ内でもマリファナ、コカインが大量に流通していったと考えられます。
重曹フリーベース流行の背景には、コカイン大量流通により「コカインに飽きてしまった層」がバハマにおいて出現したことが挙げられます(*7)。
現在でもバハマはマリファナ、コカインの積み替え地です。アウトロー組織は主に小型飛行機やボートでマリファナやコカインをバハマに運んでいます(*5)。マリファナの主な仕入れ先はジャマイカです(*5)。南米産コカインはドミニカもしくはハイチを経由してからバハマに供給されています(*5)。密輸人はバハマでコカインの小分け作業をしてから、プレジャーボートや非商用船でフロリダ州南部にコカインを運んでいます(*5)。
先述のロン・シーゲルによれば、フリーベースとクラックは少々違っていました(*10)。本物のフリーベースは「純正コカイン塩基」であった一方、クラックは「フリーベースの粗悪品」の位置づけでした(*10)。クラックには混ぜ物や不純物が含まれていました(*10)。
アメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルスのサウスセントラルでは1980年代前半「レディー・ロック」(Ready Rock)という名のフリーベースが流行しました(*11)。レディー・ロックの仕掛け人は、リッキー・ドネル・ロス(Ricky Donnell Ross)でした(*11)。リッキー・ロスは、サウスセントラルにおける「コカイン小売市場」の売人でした(*11)。
その後サウスセントラルにおいてレディー・ロックの需要はコカインを上回っていきました(*11)。
1982年までにリッキー・ロスは1週間で15kgのコカインを仕入れるまでになっており、サウスセントラルでは最も多くのコカインを取り扱う売人となっていました(*11)。さらに1984年までにリッキー・ロスは1週間で50kgのコカインを仕入れるまでになっていました(*11)。リッキー・ロスが、売人を始めた頃、卸売市場において1kgあたり2万5,000ドルでコカインを仕入れていました(*11)。一方、全盛期の時にリッキー・ロスは、卸売市場において1kgあたり9,500ドルでコカインを仕入れていました(*11)。リッキー・ロスが大量にコカインを仕入れるようになったので、仕入れ価格が安くなったのだと考えられます。
一方、アメリカ合衆国の東海岸でもレディー・ロック(フリーベース)が流通していきました(*12)。まずバハマからフロリダ州のカリブ系コミュニティにレディー・ロックが広がり、その後他州でもレディー・ロックが流通していきました(*12)。
<引用・参考文献>
*1 『Cocaine: An Unauthorized Biography』(Dominic Streatfeild,2003,Picador), p272
*2 『<麻薬>のすべて』(船山信次、2011年、講談社現代新書),p108-109
*3 『Cocaine: An Unauthorized Biography』, p270
*4 『エリア・スタディーズ157 カリブ海世界を知るための70章』「政治体制の多様性と旧宗主国との関係 継承した体制と独自の体制の並存」(石垣泰司、2017年、明石書店),p208
*5 アメリカ合衆国国務省(United States Department of State)サイト
「2025 International Narcotics Control Strategy Report - Volume1:Drug and Chemical Control」(2025),p131
*6 『Cocaine: An Unauthorized Biography』, p273-274
*7 『Cocaine: An Unauthorized Biography』,p281-282
*8 『Cocaine: An Unauthorized Biography』,p271
*9 『Cocaine: An Unauthorized Biography』,p270
*10 『Cocaine: An Unauthorized Biography』,p318
*11 『Cocaine: An Unauthorized Biography』,p288-293
*12 『Cocaine: An Unauthorized Biography』,p295
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