ヤクザ組織と土建業

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 太平洋戦争終了(1945年)後、ヤクザ組織は復興事業に食い込む為、土建会社を設立していきました(*1)。軍施設の多かった広島県では、ヤクザ組織が解体業務を手掛ける為、多くの土建会社を設立しました(*1)。大阪の博徒組織「酒梅組」は、土建業の組織として「酒梅組」を登記していました(*1)。

 戦時中においてもヤクザ組織は「土建業の業務」として軍の基地を作っていました(*1)。またヤクザ組織の中には、ヤクザ組織の要素を捨て、正業の土建会社のみの組織として活路を見出した組織もありました(*1)。

 大阪にかつて「い聯合(れんごう)」というヤクザ組織が活動していました(*2)。い聯合は池田大次郎を初代としていました(*2)。1993年1月、い聯合(三代目会長松井毅)は解散しました(*2)。

 三代目会長松井毅は、ヤクザ組織のトップであった時から、大阪堺市を中心に土建業を営む経営者でもありました(*2)。その土建会社は、上場企業の大手建設会社の下請けをしていました(*2)。1993年5月6日、松井毅は自身の経営する土建会社内で、い聯合の元メンバーに銃殺されました(*2)。

 また炭鉱業と近いヤクザ組織もありました。九州の「太州会」の源流は、「炭鉱暴力団」でした(*3)。当時の太州会は、炭鉱労働者の「管理役」を担っていました(*3)。太州会は筑豊一帯で勢力を張ってきました(*4)。

 またヤクザ組織は土砂の運搬業務も手掛けていました(*5)。土砂の運搬業務は利益率が高かったです(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ1000人に会いました!』(鈴木智彦、2012年、宝島SUGOI文庫), p142~143

*2 『ヤクザの散り際 歴史に名を刻む40人』(山平重樹、2012年、幻冬舎アウトロー文庫), p236~243

*3 『ヤクザ1000人に会いました!』(鈴木智彦、2012年、宝島SUGOI文庫), p25

*4 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p163

*5 『別冊宝島Real 037号 現代ヤクザのシノギ方』(夏原武編著、2002年、宝島社),p130

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