浪速の老舗ヤクザ組織「中政組」(*1)の初代は末広政吉でした(*2)。末広政吉は、明治から昭和初期にかけて“浪速の大侠客”と呼ばれた小林兵吉の筆頭格の子分でした(*2)。
その小林兵吉は、京都の上坂仙吉の子分でした(*3)。上坂仙吉は「会津小鉄会の初代」に位置づけられていました(*4)。小林兵吉は上坂仙吉の下で修行した後、大阪に拠点を移しました(*3)。
末広萬治が中政組二代目組長に就任しました(*2)。その後、末広勝郎が三代目組長を継承しました(*2)。末広勝郎が高齢により引退すると、1975年坂田吉宗が四代目組長に就任しました(*2)。
四代目組長の坂田吉宗が死去後、誰も中政組組長には就かず、1次団体トップ職の空席期間が10年ほど続きました(*1)。
しかし1988年山根四郎(中政組2次団体「山武組」トップ)が中政組の五代目組長に就任しました(*1)。五代目組長の山根四郎の病死後、北野義信(中政組2次団体「龍頭組」トップ)が六代目組長に就きました(*1)。北野義信は五代目体制では「相談役」を務めていました(*1)。
その後、中政組は1次団体「会津小鉄会」に入りました(*1)。2015年時点、会津小鉄会の活動範囲は、北海道と京都府でした(*5)。
<引用・参考文献>
*1 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p202-203
*2 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』, p198
*3 『実話時代』2015年8月号, p101
*4 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p160
*5 警察庁「平成27年の暴力団情勢」, p28
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